足利義政袖御判御教書(『朽木家古文書』国立公文書館)
月曜日深夜更新の古文書入門です。
今日は「足利義政袖御判御教書」です。前回の「足利義満袖判下文」との違いは書式ですが、そもそも室町時代も中期以降になりますと下文は出されなくなります。そして下文で行われていた土地などの永続的な権利関係の文書が御判御教書になります。時限的な効力の文書は御内書と呼ばれる形式に変わっていきます。
文書名ですが、『史料纂集 朽木文書』(続群書類従完成会)では「足利義政袖判御教書」となっていましたが、これでは直状である「御判御教書」と奉書である「御教書」の区別がつかないではないか、と思っていましたが、国立公文書館のデジタルアーカイブではしっかりと「袖御判御教書」となっていました。
「袖御判御教書」という文書名ですが、要するに「袖」(文書の一番右端)に花押が据えられた「御判御教書」ということです。日下(日付の下)に花押を据えるよりは薄礼というか尊大な形式の文書です。
直状(じきじょう)と奉書(ほうしょ)の違いについては以下のエントリで行なっています。
下文は戦国時代に入りますと大内義隆が出しているのを見たことがあります。義隆は昔ながらの権威を好むタイプで、大宰大弐に任官したり、京都から公家を集めてきたりして結局陶晴賢に殺されてしまいます。
とりあえず画像行きましょう。
では釈文です。
(花押)
近江国朽木庄事、早任當
知行之旨佐々木朽木信濃守
貞高領掌不可有相違之状
如件
長禄二年三月五日
次は読み下しです。
意味自体は朽木庄を現状の占有の現況通りに朽木貞高にその所有権を認めた、ということです。これは幕府による所有権の保証、つまり安堵の御判御教書ということになります。
この文書は朽木庄の安堵(不動産の所有権の保証)という永続的な権利に関わる文書であるため、年号が付いています。