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室町・戦国時代の歴史・古文書講座

歴史学研究者、古文書講師の秦野裕介がお届けする室町・戦国時代の知識です。

オンライン歴史講座第5回予告2

オンライン歴史講座第5回の予告です。

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倭寇に関して重要なポイントは、前期倭寇と後期倭寇に分けられるか、という点です。

 

一般的に「前期倭寇」というのは、十三〜十四世紀の倭寇で、その主体は対馬壱岐・松浦などの海民が朝鮮半島に押し寄せて掠奪行為を働いた、というものでした。この主体は日本人である、と考えられてきました。

 

一方、「後期倭寇」というのは、十五世紀後半から十六世紀の倭寇で、その主体は明の商人たちが武装したものと考えられています。この見方は実は明代にはすでに存在していたので、明の関係者もこの時期の「倭寇」が明人であることを理解していました。従って「倭寇」の主体が明の人間であることはいわば周知のことだったのです。

 

後期倭寇を代表する人物といえばやはり王直が挙げられます。

どれくらい有名か、といえば、戦国ixaでもカードになっている程度には有名です。

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王直Copyright © 2010-2018 SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved.

王直とは「中国(明)出身の倭寇の頭領だワン!東南アジアや日本と密貿易を行って巨万の富を築いたワン!」ということです。

 

鉄砲伝来の時に我々はややもすればポルトガル船がやってきたかのように思いますが、全くの誤認です。

 

厳密に言いますと王直の船に不祥事を起こしたポルトガル人が三人駆け込んできて保護を求めたことから、彼らは王直の船に乗って種子島に到着し、鉄砲を伝えたのです。

 

詳しくはこの辺をご覧ください。

 


真説 鉄砲伝来 (平凡社新書)

 


鉄炮伝来――兵器が語る近世の誕生 (講談社学術文庫)

 

王直は双嶼(リャンポー)諸島を中心に活躍した倭寇頭目です。一五四二年以降松浦隆信と組んで日本と明と東南アジアを結びつける交易活動に乗り出します。

現在平戸市には王直屋敷跡が史跡として存在しています。

www.hirado-net.com王直は明の誘降に応じましたが、だまし討ちで処刑されました。しかし王直の死後、明は海禁政策鎖国政策みたいなもの)を解除し、倭寇は消滅します。

 

海禁政策を解除するとなぜ倭寇が消滅するか、といえば、倭寇というのが海禁政策への抵抗である以上、海禁政策がなくなれば、倭寇という非合法交易者は合法交易者となるからです。後期倭寇の本質が商人であることを示すよい例です。

 

一方、前期倭寇朝鮮半島に入ってきた海賊集団で、その本質は日本人による掠奪行為と考えられてきました。

 

朝鮮王朝は倭寇に対して様々な手段を講じています。具体的には倭寇に貿易を許可して利益を取らせ、平和な交易者とする「興利倭人」、名目的な朝鮮の感触を与える「受職倭人」、日本の守護大名などの使節名義で来朝を許す「使送倭人」、国内居住を認める「恒居倭」などがあります。これらの施策によって倭寇も十五世紀にはおおむね沈静化すると言われています。

 

朝鮮王朝における倭寇の問題はその後も尾を引き、例えば倭寇の本拠地と考えられていた対馬を襲撃した応永の外寇、三浦(サンポ)の恒居倭が対馬の宗材盛と組んで大規模な反乱に至った三浦の乱などがあります。

 

このように朝鮮王朝にやってきた倭寇対馬を主力とした日本人だと考えられてきました。しかし1987年に田中健夫氏、高橋公明氏によって高麗末期には高麗の被差別民や、高麗の離島である済州島の人々が関与していることが明らかにされ、倭寇という集団が単一の民族集団ではないことが明らかにされてきました。

 

そのように多様な集団による国家に束縛されない地域の枠組みを設定し、その実態を明らかにする、という研究動向が1980年代から90年代のトレンドであった、と言えるでしょう。

 

例えば村井章介氏は環日本海地域、環シナ海地域という地域を設定し、そこで活躍した多様な集団の分析を通じて国家の束縛にとらわれない人々の交流を描き出しました。

 

そのような研究動向は現在では「海域アジア」という研究視座として定着しています。

 

倭寇研究とは、海域アジア研究の重要なピースでもあるのです。

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