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室町・戦国時代の歴史・古文書講座

歴史学研究者、古文書講師の秦野裕介がお届けする室町・戦国時代の知識です。

オンライン日本史講座二月第二回「日明貿易と日本国王」に向けて2

木曜日のオンライン日本史講座2月第2回に向けてのエントリです。

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前回は日明貿易の前提の話をしました。

 

今回は「日本国王」の初発について説明いたします。

 

日本国王として一番有名なのは「日本国王源道義」こと足利義満でしょう。義満は貿易の利益を求めるために明に卑屈な姿勢をとった、と考えられています。

 

具体的には明皇帝に対し称臣朝貢、つまり明皇帝の家来と名乗って貢物を送ったわけです。日本の有力者が中国の君主に臣下と称するのはけしからん、というわけです。

 

しかしこの見方は前回見たように、当時の華夷思想を現代の国民国家的な見方で裁断する誤った見方です。昨今よく見る言い方で言えば「現代の価値観で過去を断罪するな」です。

 

満済が奇しくも言っていたことですが、足利義教が称臣することについて満済は「日本大臣」として皇帝に臣下の礼をとるのは当然だ、と発言しています。

 

義満以前に実は日本国王が存在しました。『明実録』および『明史』に「日本国王良懐」として登場します。どう見ても後醍醐天皇皇子の懷良親王です。

 

これには本物説と偽物説がありますが、偽物説を史料的に証明するのは難しいでしょう、というのが私の見解です。例えば「良懐」とひっくり返っているから偽物だ、とか、その史料は明側の史料なので信憑性がないとか、そういう類のものです。明側の史料を明確にどころかそれをかすかにでも否定するような史料があればわかりますが、そのようなものはありません。状況証拠的にも当時太宰府を抑え、倭寇鎮圧を担当しうる勢力は懷良親王しかいません。

 

もう一つ、『明実録』を見ると良懐は没落し、明の使節は敵対する「持明」に拘留されます。「持明」に対抗する九州の勢力である「良懐」が懷良親王でなければ何だ、というのでしょうか。懷良親王ではないどこかの勢力で北朝と戦っていた勢力が懷良親王を騙ったとでもいうのでしょうか。

 

あるいはこういう考え方もあります。懷良と交渉した使者が懷良親王使節を騙った、と。しかしこれについては村井章介氏が「露見すれば背命の罪に問われるのを覚悟してまで、ニセの朝貢使を仕立てなければならなかった動機は何なのか」「懷良の称臣入貢は、こんな不自然な想定や憶測をかさねてまで、絶対に容認できない背理なのだろうか」と述べています。

 


アジアのなかの中世日本 (歴史科学叢書)

 

私も懐良親王については「初期日明関係に見る東アジア国際秩序の構築と挫折」(『新しい歴史学のために』210号、1993年)で述べています。

 

『明実録』その他の史料(詳しくいえば「送無逸勤公出使還郷省親序」「明国書並明使仲猷無逸尺牘」)には「持明」に連れ去られた明の使者の困難がかなり記されています。

 

この辺から見られる明側の意識を見ると明の「国王」に対する意識が見えるのではないか、と考えています。

 

そこでは「持明」と「良懐」が争い、「持明」の「新設の守土臣」(どう見ても今川了俊)が「良懐」を破り、明使は「持明」に連行されます。そこでは「幼君在位」「臣国権を擅(ほしいまま)にす」という情勢となります。彼らを取り調べたのは「執事」とされていますが、明らかに細川頼之です。頼之の追求は厳しく、「執事とは紛々擾々」といいますから、相当もめたことが伺えます。

 

幕府内でも議論がありましたが、結局明に使者を出しました。「新設の守土臣」は明使が「良懐」のために援軍を求めたと勘違いした、と明使は書いています。良懐と敵対している「持明」こと北朝および室町幕府は明の報復攻撃を受けるリスクがある、と彼らが考えていたことがわかります。

 

義満(というか頼之)の派遣した使者は瞬殺されます(比喩であって、実際に殺されたわけではありません。速攻で追い返されたという意味です)。「日本は礼法を蔑ろにして捨て去り、我が使者をバカにした。日本のこの乱れは容認できない」と洪武帝はキレています。

 

明にしてみれば、「幼君が在位」して「臣が国権を擅にする」「持明」を受け入れるわけには行かなかったのです。

 

懷良親王の率いる征西将軍府は衰亡し、懷良親王も甥の良成親王に征西将軍の地位を譲ります。この頃征西将軍府を支える菊池武朝南朝の間の齟齬も見え、九州でももはや南朝は追い詰められていきました。

 

日本を統一した足利義満は明との関係を考えなければならなくなりました。義満は明とどのように向き合ったのでしょうか。次回のブログ記事ではそれを考えます。

 

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