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室町・戦国時代の歴史・古文書講座

歴史学研究者、古文書講師の秦野裕介がお届けする室町・戦国時代の知識です。

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月曜日:次回講座の予告2

火曜日:古文書入門

水曜日:次回講座の予告3

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 歴史学研究者・古文書講師の秦野裕介のブログです。

室町時代を中心に日本史を研究しております。

室町時代・戦国時代の政治史、あるいは北海道の中世史を研究しています。

京都府乙訓郡大山崎町出身。

1997年4月〜2018年3月まで立命館大学非常勤講師。

2004年4月〜2018年3月まで立命館アジア太平洋大学非常勤講師。

株式会社歴史と文化研究所客員研究員。

会社概要・客員研究員 - 株式会社 歴史と文化の研究所

2019年4月〜9月まで立命館大学授業担当講師。

原稿執筆(書籍・雑誌)、講演の相談・依頼は大歓迎です。

yuusukehatano617◆gmail.com(◆の部分を@に変えてください)までお願いします。

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関東下知状(『朽木家古文書』422 国立公文書館)

古文書入門です。

関東下知状です。文末が「下知件の如し」という書止文言があるためにこの名があります。判決(裁許)を伝えるための文書なので『史料纂集 朽木文書』では「関東裁許状」と名前が付けられていました。

 

とりあえずは写真です。

 

www.digital.archives.go.jp

 

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関東下知状 朽木家古文書 国立公文書館

翻刻です。

駿河彦四郎有政与姉平氏〈号弥鶴〉、相論亡父時賢遺領

武蔵国比企郡南方石坂郷内田・在家事

右、就訴陳状、欲有其沙汰之處、如有政去年十二月廿六

日避状者、任女子等所帯譲状、可去与云々、爰如氏女所進建

長六年八月廿四日・文永八年九月十日譲状者、石坂郷内恵

加佐次郎在家・同田壹町五段・右衛門太郎在家・同田壹町云々、

者、任彼状、向後無違乱可令領知之状、依鎌倉殿仰、下知如件

建治三年正月 日

       武蔵守平朝臣

       相摸守平朝臣(花押)

 

読み下しです。

駿河彦四郎有政と姉平氏〈弥鶴と号す〉、亡父時賢の遺領武蔵国比企郡南方石坂郷内の田・在家の相論の事

右、訴陳状に就いて、其の沙汰有らんと欲すの處、有政の去年十二月廿六日の避状のごとくんば、女子等所帯の譲状に任せ、去り与うべしと云々、爰に氏女の進める所の建長六年八月廿四日・文永八年九月十日の譲状の如くんば、石坂郷内の恵加佐次郎の在家・同じく田壹町五段・右衛門太郎の在家・同じく田壹町と云々、てえれば、彼状に任せ、向後違乱無く領知せしむべきの状、鎌倉殿の仰せに依って、下知件の如し

 

文中の語句の解説をいくつかしておきます。

 

「避状」(さりじょう)というのは土地の権利を放棄するための文書です。有政は土地の権利を放棄した「避状」を出している、と姉は主張しています。その主張の通りに彼女の権利を認めた判決です。

 

下知状の特徴は「依鎌倉殿仰」という奉書文言が付いており、一応土地の判決を出す主体は名目上は将軍であったことがわかります。ちなみに当時の将軍は源惟康です。惟康は六代将軍だった宗尊親王の子ですが、3歳で征夷大将軍に任ぜられ、やがて源の姓を賜り、臣籍に下っています。

 

この文書の興味深い点は、「武蔵守平朝臣」の下に花押がないことです。「武蔵守平朝臣」は連署北条義政です。彼は北条氏一門の重鎮の極楽寺殿北条重時の子で、このころは連署を務めていましたが、病がちとなり花押を据えなくなります。この年の四月には連署を辞任し、信州の善光寺に出奔、出家します。そして所領の塩田平に隠遁します。塩田平が「信州の鎌倉」と呼ばれるのは義政のおかげです。

 

義政が連署を辞任し、塩田平に隠遁した理由はいろいろ言われていますが、彼が安達泰盛に近い政治的立場であったこと、元の使者の杜世忠らの処刑に反対したこと、彼が北条時宗と厳しく対立していたことなどが明らかになっています。彼が時宗に排除されたことは間違いがなさそうです。義政の排除後しばらくは時宗連署を置かず、執権単独で幕政を主導することになります。連署は6年間空位の後、義政の庶兄の業時が就任します。

正親町天皇の生涯ー永禄十三年(元亀元年)正月一日〜十二月晦日

永禄十三年
正月
一日、四方拝
御湯殿上日記、言継卿記
四日、千秋万歳
御湯殿上日記、言継卿記
五日、釿(ちょうな)始
御湯殿上日記
八日、太元帥法
御湯殿上日記(正月八日・十二日・十四日)
十日、吉田社、祇園社並びに清荒神に宮女の代官詣あり、のち数このことあり
御湯殿上日記(正月十日・二十二日・二十六日・二月三日)
十五日、三毬打
御湯殿上日記
十八日、三毬打
言継卿記、御湯殿上日記
十九日、和歌会始、出御
御湯殿上日記、言継卿記
この日、石清水八幡宮に近侍の代官詣
御湯殿上日記
この日、足利義昭の申請により、太元帥法の本尊を拝せしめる
御湯殿上日記
二十二日、鞍馬寺に近侍の代官詣あり、のちまたこのことあり
御湯殿上日記(正月二十二日・二月三日)
二十三日、神宮奏事始
御湯殿上日記(正月二十三日・二十四日)
この日、貝合、のち数このことあり
御湯殿上日記(正月二十三日・二月八日)
二十六日、以後、のちまたことのことあり
御湯殿上日記(正月二十六日・五月八日)
二十九日、楊弓、のち数このことあり
御湯殿上日記(正月二十九日・二月三日・七日・二十二日・二十三日・四月十五日・五月三日・七日・十一日・十三日・十九日・二十三日・二十四日・二十九日)、言継卿記(二月七日・五月樹さん日・二十四日)
二月
二日、禁裏作事始
御湯殿上日記、言継卿記
この日、征夷大将軍足利義昭参内
御湯殿上日記
三日、改元の勘者宣下のことを仰せ出す
御湯殿上日記(二月三日・十八日)
四日、禁裏作事あり
御湯殿上日記(二月四日〜九日・十一日〜十三日・十五日〜三十日・三月二日〜六日・八日〜十一日・十二日〜二十七日)、言継卿記(三月八日・二十三日・四月八日・十四日・十五日・五月三日・十二日)
六日、別殿行幸
御湯殿上日記、言継卿記
八日、北野社に宮女の代官詣
御湯殿上日記
十日、曼殊院宮覚恕をして廬山寺勧進帳を進読せしむ
御湯殿上日記
二十二日、庚申待
言継卿記
二十五日、北野社法楽和歌会
御湯殿上日記、言継卿記
この日、月次和歌会
御湯殿上日記
二十六日、天変、祈祷
御湯殿上日記(二月二十六日・三月十五日)
三月
三日、闘鶏あり
御湯殿上日記、言継卿記
六日、来たる八日よりの御修法のため御所洗あり
御湯殿上日記
八日、地震、祈祷
言継卿記、御湯殿上日記(三月七日・十日・十三日)
この日、理性院権僧正をしてこの日より七日間清涼殿で愛染法を修せしめ、聴聞
御湯殿上日記(三月八日・九日・十一日・十二日・十三日・十四日)、言継卿記(三月八日・十三日)
十四日、愛染不動を召して叡念あり
御湯殿上日記
この日、天変あり、祈祷
御湯殿上日記
十六日、織田信長、物を献ず、この日、信長禁裏修理を視察
御湯殿上日記
十七日、三条西実枝源氏物語を講じさせる
御湯殿上日記(三月十七日・二十二日・二十七日・四月二日・七日・十五日)、言継卿記(四月十五日)
十八日、別殿行幸
御湯殿上日記、言継卿記
二十九日、織田信長参内、禁裏修理を巡視
御湯殿上日記、言継卿記
四月
十一日、織田信長参内、禁裏を巡視
言継卿記
十九日、織田信長、禁裏修理を巡視、この日、信長に薫物を賜う
御湯殿上日記(四月十九日・二十日)、言継卿記
この日、美濃国の刀工某、剣二口を献じ、左衛門尉に任ぜらる、よってお礼に参内、剣に銘を入れて進上
御湯殿上日記
二十三日、改元、永禄十三年を元亀元年とす、この日曼殊院宮覚恕に天台座主宣下
御湯殿上日記(四月十三日・十四日・二十二日・二十三日)、言継卿記、公卿補任、元秘別録、改元
元亀四年
四月
二十五日、心願により内侍所に千度、御拝
御湯殿上日記(四月二十五日・二十七日)
二十七日、織田信長の家臣村井貞勝および日乗等に物を賜う、内裏修理の功による
御湯殿上日記(四月二十七日・五月八日)
二十八日、心願により石清水八幡宮法楽楽会、箏の所作
御湯殿上日記、言継卿記
五月
二日、別殿行幸
言継卿記
九日、織田信長、近江に発向により勅使として山科言継を遣わす
御湯殿上日記
二十日、村井貞勝および日乗、参内、信長の無事を奏上
御湯殿上日記(五月十九日・二十日)
二十六日、内侍所法楽楽会、箏の所作
言継卿記
二十九日、日吉祭
御湯殿上日記(五月二十八日・二十九日)
六月
四日、歓喜天並びに北野社に宮女の代官詣、後またこのことあり
御湯殿上日記(六月四日・九月十四日)
この日、楊弓、のち数このことあり
御湯殿上日記(六月四日・二十三日・二十八日・七月八日・十八日・十九日・二十一日・八月十六日・二十一日・二十五日・二十七日・九月六日・十三日・十七日・十月二十一日・二十四日・十一月六日・十四日・二十二日)、言継卿記(九月六日・十一月十七日)
八日、禁裏修理を続行
御湯殿上日記(六月八日・九月一日)
十六日、別殿行幸
御湯殿上日記
二十四日、庚申待
御湯殿上日記
二十五日、北野社法楽会
御湯殿上日記
七月
七日、七夕節、和歌会並びに楽会を行う、箏の所作
御湯殿上日記、言継卿記(七月五日・七日)
十三日、内宴
御湯殿上日記、言継卿記
二十七日、別殿行幸、不予
御湯殿上日記(七月二十七日・八月三日)、言継卿記
八月
四日、延暦寺六月会
御湯殿上日記(八月五日・六日・七日・十日)、言継卿記(八月五日)
九日、和漢会
御湯殿上日記
十五日、観月当座和歌会
御湯殿上日記
二十五日、庚申待
言継卿記
二十九日、因幡堂に近侍七人の代官詣
言継卿記
九月
五日、受戒
御湯殿上日記
九日、重陽節、和歌会
言継卿記
十一日、尾張国熱田社法楽楽を行う、箏の所作
言継卿記
二十日、石山本願寺謀叛により勅使を遣わして戦争の停止を呼びかけるが一揆により延期
言継卿記(九月十九日・二十日)
十月
五日、亥子の儀、十七日も同じ
言継卿記(十月五日・十七日)
二十二日、別殿行幸
言継卿記
十一月
七日、風邪
御湯殿上日記(十一月七日・八日・九日・十日)
十二月
六日、別殿行幸
御湯殿上日記、言継卿記
七日、京都一条火災、皇居の一部延焼
御湯殿上日記、言継卿記
二十三日、小宴、相国寺長得院茂西堂これを沙汰す
御湯殿上日記、言継卿記
二十七日、庚申待
御湯殿上日記

秀持書状(『朽木家古文書』231 国立公文書館)

古文書入門です。

 

とりあえず現物。

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秀持書状 朽木家古文書 国立公文書館

翻刻

則御書

返還申候

     尚々御質物之儀者

     失候而無御座候、其分

     可被成御心得奉憑候

御貴殿様御書之通、委

細拝見申候、仍御質物之

御腰者并借書之儀蒙仰候

自㝡前如申候、当春籍

乱之砌、悉引失候而無御

座候、此等之趣可然様仁御

披露干要候、委曲猶

御使小衛門可申候、恐々謹言

む月一日   秀持(花押)

小河豊後守殿 御宿所

 ちなみに書状の一番最初にある部分は「尚々書」の最後の部分です。いわゆる追伸部分の最後ですが、追伸の書く場所がなくなったため、書状の一番目立つところに入り込んでいるわけです。

したがって読むときには次の読み下しのようになります。

御貴殿様御書の通り、委細拝見申し候、仍って御質物の御腰者并びに借書の儀仰せを蒙り候、最前より申す如く候、当春錯乱の砌、悉く引き失い候て御座無く候、此等の趣然るべく様、御披露肝要に候、委曲はなお御使小衛門申すべく候、恐々謹言

尚々御質物の儀者失い候て御座無く候、其の分御心得なさるべく憑み奉り候、則ち御書返還申し候

ちなみに文中の「腰者」をググると「腰痛」ばかりが出てきます。「腰物」で刀など腰につけるもの、という意味で、おそらくそれでしょう。刀のことだと思われます。

意味をざっくり言えば、質物の腰物と借書は当春のゴタゴタの中で無くしてしまったことを書いてあります。

正親町天皇の生涯ー永禄十二年正月一日〜十二月晦日

永禄十二年
正月
一日、四方拝を行う、小朝拝、元日節会は停止
御湯殿上日記、言継卿記、続史愚抄
四日、千秋万歳
御湯殿上日記(正月四日・五日)
この日不予
御湯殿上日記(正月四日・五日・八日)
七日、白馬節会を停止
続史愚抄
八日、太元帥法
御湯殿上日記(正月八日・十一日)
十日、山科言継を召して別殿行幸の方角を尋ねる、十一日、別殿行幸
言継卿記、御湯殿上日記(正月十一日)
十五日、三毬打
御湯殿上日記
十六日、踏歌節会を停止
続史愚抄
十九日、三毬打
御湯殿上日記(正月十七日・十八日・十九日)、言継卿記(正月十七日・十九日)
この日和歌会始、出御
言継卿記
二十三日、貝合、のちまたこのことあり
御湯殿上日記(正月二十三日・三月十七日)
二十八日、織田信長、物を献ず、のち数このことあり
御湯殿上日記(正月二十八日・二十九日・二月二日・十一日・十八日・三月十六日・四月十三日)、言継卿記(二月二十八日)
二月
四日、楊弓、のち数このことあり
御湯殿上日記(二月四日・二十日・二十七日・三月六日・十五日・十六日・四月四日・八日・九日・十三日・十七日・五月三日・六日・十一日・十三日・十八日・二十日・二十一日・二十五日・二十七日・二十九日・閏五月七日・八日・十四日・二十四日・二十六日)、言継卿記(二月四日・三十日・五月二日・十八日・二十九日・閏五月七日・十四日・十七日・二十二日・二十八日)
十五日、涅槃会
御湯殿上日記(二月十四日・十五日)
二十二日、神宮奏事始
御湯殿上日記
この日、水無瀬宮法楽和歌会
御湯殿上日記、言継卿記
二十五日、北野社法楽当座和歌会
御湯殿上日記
この日、月次和歌会、のち数このことあり
言継卿記(二月二十五日・三月二十六日・五月二十九日・閏五月二十四日)
二十六日、内侍所において祈祷
御湯殿上日記
この日、征夷大将軍足利義昭参内、剣を献ず
言継卿記(二月二十三日)、御湯殿上日記
三月
二日、権大納言万里小路惟房並びに右少弁広橋兼勝を勅使として織田信長のもとに遣わし、副将軍のことを仰せ下す。答えず
言継卿記
三日、闘鶏
御湯殿上日記、言継卿記
八日、石清水八幡宮法楽楽会を行う、筝の所作あり
御湯殿上日記、言継卿記
十六日、庚申待
御湯殿上日記、言継卿記
二十一日、丑待
御湯殿上日記
四月
十六日、禁裏修理
言継卿記(四月十六日・五月二十八日・六月二日・六日・二十七日)、御湯殿上日記(五月八日・十八日・二十日・十一月五日)、安土日記(二月二十七日)
二十三日、賀茂祭
御湯殿上日記
二十四日、来たる七月、改元すべき由を武家より奏聞す
御湯殿上日記、言継卿記
五月
五日、日吉祭
御湯殿上日記
十七日、庚申待
御湯殿上日記、言継卿記
二十九日、御霊社に近侍の代官詣
御湯殿上日記
閏五月
三日、朝山日乗、物を献ず、のち数このことあり
御湯殿上日記(閏五月三日・四日・五日・六日・七日・十三日・十六日・十七日・六月十三日・十四日・二十二日・二十三日・九月十八日・十月二日)
十一日、祈祷のため、山科言継に般若心経五十巻を読誦すべき由仰せ付ける
言継卿記
六月
二日、楊弓、のち数このことあり
御湯殿上日記(六月二日・九月十一日・二十一日・十月十七日)、言継卿記(六月二日・四日)
十八日、庚申待
言継卿記
二十四日、この日より七日間、小御所において百座仁王経を修す、聴聞
御湯殿上日記(六月二十四日・二十七日・三十日)、言継卿記
二十五日、北野社法楽当座和歌会
御湯殿上日記、言継卿記
七月
四日、御楽御合奏
御湯殿上日記
七日、七夕節、和歌会並びに楽会
御湯殿上日記
十三日、内宴
御湯殿上日記
八月
七日、円頓戒を受ける
御湯殿上日記
十一日、知恩院長老参内、同寺の霊宝を叡覧に供す、この日無量寿経の談義
御湯殿上日記
十三日、御霊社に宮女の代官詣
御湯殿上日記
十九日、庚申待
御湯殿上日記
九月
二日、来たる五日、後奈良天皇の十三回忌によりこの日より懺法講を行う
御湯殿上日記(八月二日・十九日・二十三日・九月一日・二日・三日・四日・五日・六日・七日)
言継卿記(十一月七日)
九日、重陽節、和歌会
御湯殿上日記(九月八日・九日)
十月
九日、内侍所、屋根葺により西方へ遷座
御湯殿上日記
十一日、亥子の儀、二十三日同じ
御湯殿上日記(十月十一日・二十三日)
十三日、織田信長上洛、禁裏修理視察のため参内、物を献ず
御湯殿上日記(十月十三日・十七日・二十二日)
十四日、清荒神に宮女の代官詣
御湯殿上日記(十月十四日・十二月一日)
二十四日、織田信長比叡山延暦寺領を押領により僧徒ら上洛して訴える、座主応胤法親王より綸旨を請う
御湯殿上日記(二十四日・二十五日)、諸門跡伝
二十五日、夢想により北野社法楽会
御湯殿上日記
二十六日、不予
御湯殿上日記(十月二十六日・二十七日・二十八日・二十九日・十一月一日)
十一月
二日、故三条西公条の七回忌による阿弥陀経をその子権大納言実澄(実枝)に賜う
御湯殿上日記
四日、祈祷、地震などによる
御湯殿上日記
九日、歯痛
御湯殿上日記
十一日、故内大臣万里小路秀房の七回忌により法華経などをその子権大納言惟房に賜う
御湯殿上日記

近江守護家年寄連署奉書案(『朽木家古文書』179 国立公文書館)

古文書入門です。

 

朽木家古文書から「近江守護家年寄連署奉書案」を見てみます。

 

まずは現物から。

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近江守護家年寄連署奉書案 朽木家古文書 国立公文書館

長いですが、とりあえずダウンロードしてご覧になることをお勧めします。

 

www.digital.archives.go.jp

まずは翻刻から。

一番端っこの付箋部分から見てみます。

田中之山へか(可)やか(可)りいれ(禮)

られ(禮)候て大くわ(王)そに(尓)なり候て

おや方さま(万)へむかいに出られ候

御申候て田中四郎兵衛一は(者)んか(可)り(理)之時御やか(可)た(多)

の文田四への御下地なり天分十二年に(尓)

 これは仮名交じりで、しかも変体仮名が多いので難しいです。

漢字交じりで書いてみます。

田中の山へ萱刈り入れられ候て、大過そになり候て、おや方(御屋形)様へ向かいに出られ候御申し候て、田中四郎兵衛、一番刈りの時、御屋形の文、田四(田中四郎兵衛)への御下知なり、天文十二年に

 となります。『史料纂集』の読みに従っています。ただ「大くわそ」のところ(大過處カ)となっていますので、この辺はそのままにしました。

 

本文です。

朽木殿領中山木盗捕

之輩、今度被對御同名

中被成御下知、堅被相

觸之処、御領内之輩号

萱苅至山中押入、即

以奉書之旨被追拂、一人

被搦置之処、為相當朽木

商買人被召篭云々、

無是非次第也、雑(贓)物并

伐物以下被返付、種々

御申条、只今事者被落

居訖、於向後朽木殿無

合点萱苅於被入者、為御

違背条、一段可被成其

御心得間、可有御存知由、被

仰出候也、仍執達如件

天文拾貳年十月十六日

       忠行

       高雄

田中四郎左衛門尉殿 雑掌

 読み下します。

朽木殿領の中山の木を盗み捕るの輩、今度御同名中に対せられ御下知を成され、堅く相触れらるの処、御領内の輩、萱苅と号し、山中に至り押し入る、即ち奉書の旨を以って追い払われ、一人搦め置かるるの処、相当として朽木商買人召し篭めらるると云々、是非無き次第なり、雑(贓)物並びに伐物以下返付せられ、種々の御申し条、只今の事は落居せられおわんぬ、向後において朽木殿の合点無く萱苅に入らるにおいては、御違背たるの条、一段其の御心得なすべきの間、御存知あるべきの由、仰せ出だされ候なり、仍て執達件の如し

「贓物」というのは盗品のことです。「相当」というのは、朽木氏が捕縛した田中四郎左衛門の領民の身代として朽木氏の商売人を報復として拉致した、ということです。結局手打ちがなされ、朽木氏の許可なく朽木氏の領内で萱刈りをしてはいけない、ということです。

 

かなり長いので今回はこれで。

 

正親町天皇の生涯ー永禄十一年正月一日〜十二月晦日

永禄十一年
正月
一日、四方拝を行う、小朝拝、元日節会を停止
御湯殿上日記、言継卿記、続史愚抄
四日、千秋万歳、五日同じ
御湯殿上日記(一月四日・五日)、言継卿記(一月四日・五日)
七日、白馬節会を停止
続史愚抄
八日、太元帥法、十日聴聞あり
御湯殿上日記(一月十日・十四日)
十日、庚申待
御湯殿上日記
十一日、拝診
御湯殿上日記
この日、囲碁、のち数このことあり
御湯殿上日記(一月十一日・十四日・四月十八日・二十日・五月十二日)
十五日、三毬打
言継卿記
十六日、踏歌節会
続史愚抄
十七日、これより先、不予祈祷の小泰山府君祭、この日撫物の返進あり
御湯殿上日記
十八日、三毬打
御湯殿上日記、言継卿記
十九日、和歌会始、出御
御湯殿上日記、言継卿記(一月十四日・十九日)
二十日、貝合、のち数このことあり
御湯殿上日記(一月二十日・二十一日・二十四日・三月二十五日・四月十日)
二十一日、聞香、二十九日同じ
御湯殿上日記(一月二十一日・二十九日)
二十三日、楊弓、のち数このことあり
御湯殿上日記(一月二十三日・二月六日・九日・十四日・二十四日・二十六日・二十八日・三月六日・九日・十二日・二十四日・二十七日・四月八日・十一日・十二日・十五日・二十四日・二十六日・二十九日・三十日・五月十四日・十九日・二十三日)、言継卿記(一月二十三日・二月二十六日・三月十三日・四月二日・二十八日・五月八日・十四日・十九日)
二十七日、和漢会、のちまたこのことあり
言継卿記(正月二十九日)、御湯殿上日記(三月八日)
三十日、拝診
御湯殿上日記
二月
二日、近江国日吉山王社に宮女の代官詣
御湯殿上日記
八日、左馬頭足利義栄征夷大将軍・禁色・昇殿などの宣下
御湯殿上日記(二月八日・九日)、公卿補任
十一日、神宮奏事始
御湯殿上日記
十三日、別殿行幸
御湯殿上日記
二十日、楽会始、筝の所作
御湯殿上日記(二月十二日・十九日)、言継卿記(二月十九日・二十日)
二十二日、水無瀬宮法楽和歌会
御湯殿上日記(二月二十日・二十二日)、言継卿記(二月二十一日)
二十四日、月次和歌会、のち数このことあり
御湯殿上日記(二月十六日・二十四日・三月十五日)、言継卿記(二月二十二日・四月二十七日・五月二十六日)
二十五日、北野社法楽当座和歌会
御湯殿上日記、言継卿記
二十九日、御誕辰の観経、のち数このことあり
御湯殿上日記(二月二十九日、三月二十九日・四月二十九日・八月二十九日・九月二十九日・十月二十九日・十一月二十九日)
三月
三日、闘鶏
御湯殿上日記
五日、受戒
御湯殿上日記
十日、御霊社並びに北野社に宮女の代官詣、のちまたこのことあり
御湯殿上日記(三月十日・四月三日)
十七日、清荒神に宮女の代官詣、のちまたこのことあり
御湯殿上日記(三月四日・五日・十七日・二十八日)
二十六日、別殿行幸
御湯殿上日記、言継卿記
二十七日、昨年、奈良東大寺大仏、兵火にかかる、その再興につき、諸国に綸旨
御湯殿上日記
二十九日、因幡堂に近侍七人の代官詣
言継卿記(三月二十八日・二十九日)御湯殿上日記(正月二十九日・二月二十九日・四月九日・二十八日・十一月二十九日)
四月
十八日、賀茂祭
御湯殿上日記
五月
九日、別殿行幸
御湯殿上日記、言継卿記
十一日、庚申待
言継卿記
六月
六日、楊弓、のち数このことあり
御湯殿上日記(六月六日・十一日・十二日・十四日・十六日・十七日・十八日・七月十七日・二十日・二十一日・二十二日・八月二日・三日・四日・六日・七日・二十四日・九月六日・十一日)言継卿記(七月二十一日・九月六日・十九日)
二十一日、別殿行幸
御湯殿上日記、言継卿記
二十五日、北野社法楽当座和歌会
御湯殿上日記
三十日、七観音に近侍の代官詣
御湯殿上日記
七月
一日、御霊社に宮女の代官詣、のち数このことあり
御湯殿上日記(七月一日・八月十三日・二十一日・九月二日)
七日、七夕節、和歌会並びに楽会、箏の所作
御湯殿上日記、言継卿記
二十二日、拝診
御湯殿上日記
二十五日、月次和歌会を行う、のちまたこのことあり
御湯殿上日記、言継卿記(七月二十四日・八月二十五日)
二十八日、因幡堂に近侍七人の代官詣
言継卿記
八月
一日、八朔の儀
御湯殿上日記
五日、清荒神に宮女の代官詣、のちまたこのことあり
御湯殿上日記(八月五日・九月六日・十二日)
六日、別殿行幸
御湯殿上日記、言継卿記
十日、拝診
御湯殿上日記
十五日、当座和歌会を停止、月食による
御湯殿上日記
十九日、養生の薬を供す、のち数このことあり
御湯殿上日記(八月十九日・二十二日・二十七日・九月三日)
二十二日、祈祷のためこの日より七日間安倍有春に小泰山府君祭を行わせる
御湯殿上日記、言継卿記(八月二十八日)
二十七日、和漢会
御湯殿上日記、言継卿記
九月
五日、後奈良天皇十二回忌、伏見般舟三昧院において法事
御湯殿上日記(八月二十八日・九月五日・六日)
九日、重陽節、詩歌会
御湯殿上日記(九月二日・八日・九日)、言継卿記
十日、囲碁、のち数このことあり
御湯殿上日記(九月十日・十一日・二十四日)
十四日、庚申待、この日伏見天皇宸筆の往生講私記を叡覧
御湯殿上日記、言継卿記
この日、織田信長に命じて禁裏を警固せしむ
後鑑
十八日、別殿行幸
言継卿記
二十日、これより先稲荷社の社務曲事あるにより罷免、中某に綸旨を下す
御湯殿上日記(九月十七日・二十日)
二十一日、天下祈祷のため、この日より三日間臨時の御拝
御湯殿上日記
二十二日、禁裏の警固を増加、織田信長入京しようとして京中騒動するによる
御湯殿上日記、言継卿記(九月二十日・二十五日)
十月
三日、この日より精進
御湯殿上日記
十一日、亥子の儀、二十三日また同じ
御湯殿上日記(十月十五日・二十三日)
十五日、日待
御湯殿上日記(十月十五日・十六日)
十八日、左馬頭足利義昭征夷大将軍、禁色、昇殿などの宣下
御湯殿上日記(十月十八日・十九日)、言継卿記、公卿補任
二十二日、将軍足利義昭参内
御湯殿上日記
二十三日、将軍足利義昭に剣を賜う
御湯殿上日記
十一月
二日、別殿行幸
言継卿記
十二月
十五日、皇子に親王宣下、名を誠仁と賜う
言継卿記、御湯殿上日記(十二月二十日)
十六日、別殿行幸
言継卿記
この日、准后前関白二条晴良に関白復任並びに氏長者、兵仗牛車元の如き由の宣下
言継卿記、公卿補任