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室町・戦国時代の歴史・古文書講座

歴史学研究者、古文書講師の秦野裕介がお届けする室町・戦国時代の知識です。

優しい足利義教

まるで「きれいなジャイアン」みたいなタイトルです。

 


ドラえもん メモ帳 きれいなジャイアン 藤子・F・不二雄ミュージアム限定

 

 

室町幕府六代将軍足利義教といえば「万人恐怖」「将軍犬死」などの言葉が思いつきます。その義教が優しいとは、まるであのジャイアンがナイスガイであるくらいの違和感はあります。

 

『康富記』応永二十七年(一四二〇)九月二十三日条に次のようにあります。

 

就御病中連々人々被執申之間、此間突鼻之衆近習以下済々御免云々、青蓮院執申之故也。

 

読み下しにすると以下のようになります。

御病中につき連々人々執り申さるの間、此の間の突鼻の衆近習以下済々御免と云々、青蓮院執申の故也。

 

意味は次のとおりです。

(義持の)御病中につきずっと人々がとりなした結果、この間に処分された人々近習以下多くの人々が許されたということだ。青蓮院(義円、のちの義教)がとりなしたからである。

 

義持の下した処分を義持の同母の弟で当時一五三世天台座主を務めていた青蓮院門跡の義円僧正が撤回させたということです。

 

同年十月十三日条に続報があります。

今朝公武僧家突鼻之輩数十人御免、青蓮院殿執被申云々、公卿万里黄門豊房卿、九条三条公興、二人御免。

 

公武や僧侶の処分された人々も赦免されたようです。これも青蓮院殿つまりあの足利義教が執りなしたからだそうです。

 

義教が兄義持の気まぐれな処分をよく思っていなかったのかどうかはわかりませんが、兄に対して処分を取り消すようにとりなし、それが通っている、というのは興味深い事実です。

 

もっとも義教も将軍になると処分を連発するようになりますから、西城秀樹のあの名曲「ブーメランストリート」が耳に浮かびます。

 


西城秀樹/ブーメランストリート/はげしい雨の中へ(EP)● 303

堀越公方足利政知の暗い情熱ーゆうきまさみ氏『新九郎、奔る!』を解説する

4月12日に『新九郎、奔る』最新刊の13巻が発売される、ということで少しばかり焦っています。新しい仕事に1年前について以来、なかなかブログを書く力が残っていない、というのが現状です。

 


新九郎、奔る!(12) (ビッグコミックス)

 

 

12巻の78ページに「「公方」とは名ばかりの堀越公方 足利政知の心中に暗い情熱が灯りはじめている」とあります。

 

上杉顕忠(関東管領)と足利成氏古河公方)が和睦に向けて動いているという「噂」を入手した政知が焦っています。

 

一応解説しておきますと、古河公方足利成氏は20数年にわたって上杉氏とその背後にいる室町公方と抗争してきました(享徳の乱古河公方を抑えるために足利義政が送り込んだのが庶兄の政知です(第8巻参照)。従って上杉氏と古河公方、ひいては室町公方と古河公方が和睦すれば堀越公方の存在価値はなくなります。

 

8
新九郎、奔る!(8) (ビッグコミックス)

 

 

結局両者の和睦「都鄙合体」(戦国IXA足利成氏のスキル名がこれです)が実現した時、堀越公方伊豆国一国のみを与えられ、かろうじて存続します。

 

政知はその「暗い情熱」を関東から室町幕府そのものに向けます。彼は次男を上洛させ、天龍寺香厳院に入れます。政知自身がかつて在籍していた寺です。

 

さらに彼のバックに細川政元を付けることに成功します。政元のバックアップのもと政知は次男の香厳院清晃を将軍の候補者につけようとします。

 

しかしこれは失敗します。義政と富子は足利義視の息子の義材(後の義稙)を将軍候補とし、義政の死後、義材は将軍となります。

 

富子は清晃に小川殿を引き渡しますが、これが義視と義材の反発を買い、小川殿は破却されます。これで富子は義材派から清晃派に離反します。さらに伊勢貞宗の支持も失いましたが、義材はそのことを悟らず、畠山政長のバックアップのもと、将軍権力の強化を図ります。

 

政元・富子・貞宗は清晃を擁立し、義材と政長を追い落とすクーデタを仕掛けます。これが「明応の政変」です。その後将軍家は二つに分裂し、日本は戦国時代に本格的に突入していくことになります。

 

清晃は11代将軍足利義澄となりますが、逃亡した義稙が大内義興細川高国をバックに復帰し、義澄を追放します。

義稙が細川高国と対立し阿波国に追放されて代わりに将軍についたのは義澄の遺児の義晴でした。しかし義晴は兄弟で義稙の後継者となった義維と対立、義晴の子の義輝は義維及びその子の義栄をかついだ三好氏に暗殺され、その後は義晴の子の義昭が最後の室町将軍になります。

 

室町幕府の最後を飾った将軍たちは政知の子孫だったのです。政知は自分の子孫が室町幕府の将軍を継承したことを知らずに亡くなりました。

 

彼は自らの後継者を義澄の同母弟の潤童子に決め、腹違いの長男の茶々丸を廃嫡します。彼は室町公方と堀越公方の双方の父親になろうとしたのです。

 

室町公方の父親になることには成功しましたが、堀越公方の父親になることは失敗しました。茶々丸がクーデタを起こし、潤童子とその母を殺害したのです。

 

明応の政変で政権を掌握した義澄は自らの母と弟を殺害した怨敵の茶々丸討伐を幕府申次衆で堀越公方奉公衆や今川氏の一門衆を兼ね、駿河国に所領を持っていた伊勢盛時に命じます。

 

その後伊勢盛時とその子孫は関東を制覇する後北条氏となるのはよく知られた話です。

 

126ページに「関東の情勢は複雑怪奇 「龍王を当主の座につけたら二度と近づくまい!」と、心に誓う新九郎であった」とあります。しかし実際にはこの茶々丸討伐を契機に盛時は関東の情勢に飲み込まれていくのです。

 

ちなみにこの過程のなかで太田道灌と上杉政憲が巻き込まれ、死んでいきます。彼らの死は今川範満の非業の死に繋がっていきます。ちなみに範満の甥のうち、小さい方は今川氏親龍王)の一門として遇されます。

 

生に執着した後花園天皇の最期

『鎌倉殿の13人』の最終回での北条義時の壮絶な最期が話題ですが、負けず劣らずの生への執着を見せたのが後花園法皇です。

 

文明二年(一四七〇)十二月二十六日、後花園法皇は中風で倒れます。

 

彼は投薬を指示しますが、もはや薬を服用することもできない容態となっていましたが、それでも灸を指示するなど、最期まで生に執着します。

 

後花園法皇の無念は弟の貞常親王が書き残しています。

 

貞常親王白河法皇と後花園法皇を比べ、白河天皇については「天下おさまり、御心にのこる事なく、いきとしいけるものの命をすくはれし」と表する一方で、後花園天皇については「いまだ御行すゑもはるかなる御事のおもひあへず雲がくれたまへば、君も臣もただあきれまどへるばかりなり」と評しています。

白河法皇の「御心にのこる事なく」と後花園法皇の「おもひあへず雲がくれ」が対照的に表現されていますが、この両者の対照を敷衍すれば、白河法皇の「天下おさまり」「いきとしいけるものの命をすくはれし」に対して後花園法皇応仁の乱を引き起こし、多くの命を失わせたということになります。

 

後花園法皇自身貞常親王への手紙の中で「かやうの珍事出来し候事、人めしちもかたがためむぼくなき次第」と述べ、「老後の恥辱も口惜しく覚候」としています。彼の人生への想いを一言で言えば「人間の交無益千万」であり、伏見に逃げ帰りたいと述べています。

 

想像になりますが、自らの戦争責任から逃走しようとした後花園法皇を押しとどめたのは貞常親王ではなかったかと私は考えています。

 

その後の後花園法皇応仁の乱を終わらせるための東西両軍の仲介に乗り出したり、自らの避難先である室町第が攻撃された後は、西軍治罰綸旨を出すなど、東軍の最高軍事指揮官として活動し、さらには西軍が擁立した後南朝に呼応した各地の後南朝攻撃の司令塔となって奮戦中に中風に倒れたのです。その意味では彼の死に様は「戦死」と言えるでしょう。

 

後南朝を断絶させ、西軍をねじ伏せる戦いの最前線に立っていた後花園法皇が、当時としては異例なほどに、それこそフィクションである大河ドラマの主人公ばりに生に執着したのには、後花園法皇のなみなみならぬ決意があったのです。

 

詳細は拙著『乱世の天皇』(東京堂出版、二〇二〇年)をご覧ください。

 

 


乱世の天皇 観応の擾乱から応仁の乱まで

 

龍王、のちの今川氏親2ーゆうきまさみ氏『新九郎、奔る!』を解説する

ゆうきまさみ氏『新九郎、奔る!』第11集でも龍王、のちの今川氏親が大活躍中です。

 

 


新九郎、奔る!(11) (ビッグコミックス)

 

今川氏親といえば今川義元の父親で、戦国大名として今川家を隆盛させた名君です。

戦国IXAでは以下のカードです。

 

今川氏親(Copyright © 2010-2022 SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved.)

 

その反面いささか虚弱だったのか、母の北川殿(伊都)に先立って亡くなっています。しかも晩年は体調をくずして寝たきりだったようです。

 

第10集関係でも取り上げました。

 

sengokukomonjo.hatenablog.com

 

 

『新九郎、奔る!』第11集では第10集に比べて少し大きくなった龍王が描かれます。しかし口の中にカタツムリやカエルを入れて伊都を驚かせたり、いきなり義尚の御所に乱入しようとして伊都に取り押さえられているところを、通りかかった義政に見られて「子供の頃からにぎやかな娘と思うておったが、尼になってもああか」と呆れられています。

 

新九郎の従兄弟でよき兄貴分でもある伊勢盛頼が伊勢貞宗のもとにきたついでに新九郎のもとに来た時に新九郎に結びつけられているヒモに目をつけ「そのヒモはなんだ?」と聞いています。「龍王が目を離すとフラフラどこかに行って変な物を口に入れて帰ってくるので行動範囲を制限しているのです」と答えていますが、かなり面倒臭い子どもっぽいです。

さらに盛頼が「駿河国守護職を手に入れた暁には掃部助盛頼!掃部助盛頼をお忘れ召さるな!」と自分を売り込みますが「それに対し「だーっ!」とだけ返し「まだ言葉話せないのか?」と新九郎に盛頼が尋ねています。

 

この辺の味のある子どもキャラは伊勢弥次郎にも共通します。弥次郎は新九郎よりもしっかり者に育ちましたが、幼い頃は同じようなキャラでした。

 

その龍王がのちに新九郎とともに河越や三河を転戦するとはなかなか龍王も頑張った物です。

伊勢盛頼と今川家関係の揉め事2ーゆうきまさみ氏『新九郎、奔る!』第11集発売!

ゆうきまさみ氏『新九郎、奔る!』第11集が発売となりました。

 

 


新九郎、奔る!(11) (ビッグコミックス)

 

 

すっかり新九郎にとってはいい兄貴分となった伊勢九郎盛頼の登場です。

 

以前盛頼と今川家雑掌のトラブルを記事にしました。

 

sengokukomonjo.hatenablog.com

『政所賦銘引付(まんどころくばりめいひきつけ)』文明十年(一四七八)十月二十七日条に次の記事がありました。

 

伊勢掃部助盛頼 十 廿七(十月二十七日)

今川上総介の雑掌の妙音寺法音僧の借金九十貫文の事、法音が死去したので相続した弟子が返済するように下知した

 

この話が『新九郎、奔る!』11集に出てきます。

 

今川家の京都雑掌であった妙音寺の法音が今川義忠後室の北川殿(作中では伊都)のもとに金の無心にやってきます。この時法音は今川範満と氏親(作中では幼名の龍王丸)の天秤をかけ、伊都に資金援助を蹴られたため、範満サイドへの肩入れを決めます。

 

この時「小娘には恥をかかされた故 思いしらせてやらんとな」ということで蔭涼軒を通じて範満の言い分を押し通そうとします。政所で握りつぶすように要求する伊都と盛定ですが、貞宗龍王に圧倒的に不利だと宣告、龍王サイドには打つ手が見られないところで盛頼の登場です。

 

「満を持して俺 登場だ!」「法音!貸した九十貫文、そろそろ返せぇ!」と金貸の登場です。裏では貞宗も動いていたようで盛頼は貞宗にいちいち報告しています。その報告を聞いて「品がない」と呆れてますが、盛頼は「借金取りですから」と涼しい顔。

 

その後盛頼と盛定や新九郎・伊都らの酒宴で貞宗が奉公衆三番衆の小笠原備前守政清を連れてきます。この人物、というよりもこの人物の娘は要注目です。

 

ヒントを示しますと、この人です。

 

南陽院 戦国IXA Copyright © 2010-2022 SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved.

 

妙音寺は法音の死に伴い債務の不存在を申し立てますが、幕府の裁定で敗訴し、「それがしとて鬼ではござらぬ。元金の支払いは日延してもようござるぞ。」と言いながら妙音寺を黙らせます。

 

盛定「お主を見ておるとまるで金貸しが本業のようだの」

盛頼「本業です!」

 

他にもいろいろ見所がありますが、私としては盛頼の活躍が嬉しいです。

 

 

『神風頼み』試し読み

拙著『神風頼み』(柏書房)が文春オンラインで紹介されました。Yahoo!にも掲載されています。ご一読ください。  

 

 

  「天皇を機関車にたとえるとは何か!」美濃部達吉「天皇機関説」が国会で揉めにもめた政治的背景(Yahoo!)

 

「外道の所業である」発案者でさえ否定した「神風特攻隊」はなぜ実行されたのか?(Yahoo!)  

 

『神風頼み 根拠なき楽観論に支配された歴史』(文春オンライン)  

 

 

拙著では蒙古襲来から敗戦までを取り扱っていますが、今回「終戦の日」に文春オンラインにおいて第6章と第7章から少しご紹介いただくこととなりました。    

 

 

 


神風頼み 根拠なき楽観論に支配された歴史

拙著『神風頼み』柏書房の詳細な目次

7月21日、私の2冊目の単著となる『神風頼み』が出版されます。

 

神風頼み(一般書/単行本/日本歴史/)柏書房


神風頼み 根拠なき楽観論に支配された歴史

 

 

神風頼み 根拠なき楽観論に支配された歴史 [ 秦野 裕介 ]

 

「日本は神風が吹く、神に守られた特別な国」という「神風思想」が生み出す「ニッポンすごい!」「独り善がりの排他主義」「根拠なき楽観主義」……元寇から特攻まで日本史を貫きつづけてきた「神風思想」は、太平洋戦争における敗戦という結末を迎えることとなったが、その意識自体はいまだ日本人の心に根強く生き続けている。
 本書は、「神風思想」がいかに形づくられていったかを、史実に沿って検証、「神風が吹いたのは日本だけではない」「神社による立派な〈武器〉だった神風」「実は友好的だった元寇前のモンゴルの外交姿勢」「天皇制をこき下ろした天皇」「〈神の国〉ではなく〈人間本位〉を考えていた中世の政治家たち」「立憲制を念頭に置いていた大日本帝国憲法」など、日本が決して「神風思想」だけに凝り固まっていたわけではないことを示す事実を挙げながら、「神風思想」とそれに対峙する形の「撫民思想」とのせめぎ合い、そして「神風思想」の根幹をなす「根拠なき楽観」が招いた悲劇の過程を辿っていく。
 歴史的論考としてはもちろん、コロナ禍、ウクライナ戦争など混迷の時代において危機をいかに克服していくべきかの指針ともなる一冊。

【目次】

第一章「元寇」と「神風」――元寇が生んだ「神風」意識の誕生と定着

  • 『八幡愚童訓』に見る“アホでマヌケな鎌倉武士”
  • 史料からは確認できない「神風」
  • 「神風が吹く」のは日本だけではなかった
  • 神風はほんとうに吹いたのか?
  • 神社と武士の手柄争いの産物だった「神風」
  • 元寇は朝廷滅亡策?」−江戸時代の“陰謀論
  • 湯地丈雄による「元寇の記憶」の復活
  • 元寇絵」で行われた“切り取り”
  • 蒙古襲来史料『伏敵篇』における恣意的解釈

第二章 神国ニッポン――日本はよそとは違う特別な国なのだ!

  • 神々が求めた「神風」への恩賞
  • 神社向けの徳政令神領興行法
  • 強まる「敬神意識」に押し潰された鎌倉幕府
  • 「神が日本を守った!」−室町時代フェイクニュース
  • 局地的紛争が「元寇の再来」に
  • 対中国外交に見る足利義持の「神国思想」
  • 少弐満貞らはなぜ“盛った”のか?
  • 義持周辺の中国人たちの国際感覚
  • 「朝鮮は日本の属国」−室町の国際意識
  • 「東夷の小帝国」意識

第三章〝人のために神がある〟――「敬神」へのアンチテーゼとしての「撫民」

第四章「国体」の形成――近世に見る「神の国」の復権


第五章 神武天皇足利尊氏――国家の学問介入を象徴する二人

  • 学問へ容喙する「神風思想」
  • 時代祭りから排除され続けた足利氏
  • なぜ南朝が正統とされたのか?
  • 「神武復古」明治政府の「神の国
  • 南朝のヒーローを“抹殺”して“炎上”した久米邦武
  • 北朝天皇は偽物だ!」−明治時代の教科書問題
  • 「世界に一つの神の国」−学問と教育の分離
  • 神武天皇はいない」と言うなかれ!−津田左右吉事件
  • 津田批判の背後に垣間見える陸軍の影


第六章「神の国」か「立憲主義」か――大日本帝国憲法をめぐる議論


第七章「神風」の終末――「神の国」が最後に目にしたもの

 

ちなみにこのエントリが編集者の目に留まったことが本書執筆のきっかけです。この辺「あとがき」にも書いてあります。

sengokukomonjo.hatenablog.com