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室町・戦国時代の歴史・古文書講座

歴史学研究者、古文書講師の秦野裕介がお届けする室町・戦国時代の知識です。

相応院新宮のこと

『看聞日記』に「相応院新宮」という皇族が出てきます。「南方上野宮御子」と割注がついています。永享五年十二月二十日条です。

相応院新宮〈南方上野宮御子〉、自公方侍所ニ被仰付搦申。門主ハ御室ヘ被入申。其間ニ侍所門跡ヘ参取申懸縄云々。御形儀悪物之間、公方へきこえて被搦申云々。委細事未聞。稀代不思議事也。

 上野宮の御子の相応院新宮という南朝関係の皇族が門主の留守中に捕縛された、という記事です。理由は「御形儀悪物」ということで、詳細は不明です。命令したのは義教、ということで「御形儀悪物」というのが言いがかりである可能性は極めて高いと思います。

ちなみに上野宮というのは後村上天皇皇子説成親王のことで、上野太守であったことからこの宮号となっているようです。

 三日後、こんな記事が出ています。

大教院隆経法印参。相応院新宮事語。有隠謀之企。仍被搦申云々。侍所日野家へ渡申。彼に御座云々。

 どうやら相応院新宮は「隠謀之企」によって捕縛されたようです。日野家に引き渡されているのは皇族であるためでしょう。ちなみに当時の「日野家」というのは広橋家のことです。

その四日後の二十七日、事態は急転します。

相応院新宮事、隠謀之企虚名也。更々無支證云々。而自門跡密々被告申。随而日野中納言事々敷申之間、被搦申有御後悔云々。雖然管領へ被渡被配流申云々。

 いや、何言ってるんだかわかんないです。

要するにこういうことです。

相応院新宮のことについて、隠謀の企てはうそだった。全く証拠がない、ということである。しかし門跡より密告があった。そこで日野中納言(広橋兼郷)が重大事であるかのように申したので捕縛されて「御後悔」あり、ということである。そうとは言っても管領細川持之)に引き渡されて配流ということである。

 いやいやいや、隠謀の企てはうそだったんでしょ?「御後悔」してんでしょ?なんで配流になってるかな。

これ、要するに結論ありきの逮捕だと考えればわかります。要するに隠謀の疑いでしょっぴいて、嘘がバレても押し通せば誰も文句を言わない。ちなみに「御後悔」の主語が誰か、ということですが、ここで扱っている『看聞日記』の場合、「御」をつけるのは足利義教か、後花園天皇以外にはありません。この事件に後花園天皇が直接関わっているとは思えないので、「御後悔」の主語は足利義教でしょう。義教はどうやら責任を全て兼郷にかぶせるつもりのようです。

 五月十六日、この問題は決着します。

相応院新宮も流罪〈但被行死刑云々〉。

 うん、こまわり君のようにあっさり「死刑」でした。おそらく最初から死刑ありきだったようです。

この三ヶ月後には「南方御一流、於于今可被断絶云々」という方針が出され、護聖院宮の若い皇子が二人僧籍に入れられます。

ちなみにこの五月十六日には妙法院門主木寺宮明仁法親王)、勧修寺門主小倉宮の教尊)が逐電しています。身の危険を感じたのでしょう。

 

追記

田中義成『足利時代史』を読み直していたらこんな記述が目に入りました。

後村上天皇の皇子説成親王の御子相応院宮をば謀叛の嫌疑にて遠流に処し、隠に之を害せり。之は全く冤罪なり。

 これはえぐい。

しかし田中義成は次のように言います。

是に於て南朝の余党初めて屏息し、全く其跡を絶つに至れり。これ亦義教の勇断果決なる政策の致す所に外ならず。

 義教、大絶賛です。まあ南朝の皇胤を断絶するのは北朝天皇にとってはいいこと、かもしれませんから。私は後小松関係者への義教の偏執的かつ一方的な怨恨ではないか、と思っていますが。

 

足利時代史 (講談社学術文庫 341)

足利時代史 (講談社学術文庫 341)