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室町・戦国時代の歴史・古文書講座

歴史学研究者、古文書講師の秦野裕介がお届けする室町・戦国時代の知識です。

足利義教は「天台開闢以来の逸材」だったか?3

足利義教の評伝ということになりますと、従来の足利義教論との最大の差異化ポイントは、青蓮院門跡義円時代をいかに描き出すか、ということだと思います。

 

この際に避けて通れないのが石崎建治氏の論文「天台座主青蓮院門主義円時代の足利義教についてー永享年間山門騒動の一前提ー」(『金沢学院大学文学部紀要』第三集、一九九八年)です。

 

この論文では青蓮院門跡義円の文書について検討が加えられ、義円の意欲的な青蓮院門主天台座主としての活動が明らかにされていきます。と同時に義円が比叡山の中でいろいろと制限を受けている様子も明らかにされています。「寺家の論理」と「院家の論理」という言葉で説明されていますが、「院家の論理」では義円は貴種であり、延暦寺のトップに立ちうる人物です。しかし「寺家の論理」では寺院全体の意向を考慮する必要があり、義円の行動は大きく制約されることもあるわけです。

その体験から将軍足利義教になったときに、延暦寺に対して厳しい姿勢をとった、と考えられています。

 

義円時代の足利義教についてはこの論文が一番詳細に書かれているのではないか、と思われます。

 

この石崎氏の論文を読んでいて気付く点があります。それは義円の仏教思想家としての活動が全く見られないことです。これは至極当然であり、義円は仏教思想家として延暦寺で着目されていたのではありません。あくまでも貴種として青蓮院門主として、青蓮院の権益確保のために門跡に入れられていただけです。

 

そもそも当時の天台に「開闢以来の逸材」が活躍するような余地は当時の顕密仏教には残されていないでしょう。義円らに期待されていたのは日々の寺領などの管理と、将軍の御成に際して将軍を接受すること、将軍や天皇の護持のための祈祷を行うこと、などで、そこに個人の卓越性は必要とされません。

 

一つ、石崎氏の論文で触れられていない点があります。それは応永二十一年(一四一四)に義円が逐電し、嵯峨洪恩院にて「禅衣」を著した、という事件です。このとき義円の側近であった泰村法眼が逮捕され、義持と満済が話し合ったときに義持は義円の帰還については「叶わず」と言っていることからすれば、かなり深刻な対立が存在したことが伺えます。

 

この問題は、翌年の十二月付の明王院文書に「阿闍梨三后正法印大和尚位義円」名義で義持のための祈祷を行っていることが記されており、この段階以前には義持から赦免されていることがわかります。

 

この一件を考慮に入れて延暦寺の衆徒が義円の天台座主就任を求めて根本中堂に閉籠した事件を解釈すると少し違った姿が見えてくるのではないか、と思います。

 

この事件について石崎氏は「寺院大衆」の高姿勢・強硬姿勢を示しものであり、義円に対して高姿勢な立場を保持していると述べています。

 

この論の前提としては「義円が天台座主になろうとせず、門跡としての義務を果たしていない」ことへの衆徒の不満があるかのように考えられていますが、ここで義円が失脚したことがある、ということを念頭におけば「義円は天台座主になろうとしなかった」のではなく、「なれなかった」のではないかという気もします。

とすれば、衆徒の不満は「義円が天台座主になれず、門跡としての責務を果たすことができない」ことにあったのではないか、とも考えられます。この辺については慎重に考える必要があるでしょう。

 

山門騒動について私は義教が殺害した衆徒が山門使節であったこと、山門騒動後に梶井門跡の院家であった護正院が登用されていることを重視したいと考えています。そしてこのとき処刑された円明坊・月輪院・金輪院・杉生坊らいずれも青蓮院の門徒であったという点も重視すべきと思います。彼らが山門使節たり得たのにはやはり義教のバックアップがあったからです。というのは円明坊は義持の勘気を被り失脚していますが、義教によって山門使節に復帰しています。また梶井門跡の院家であった乗蓮坊も義持によって退けられ、義教によって復権しています。

つまり山門騒動で義教に殺害された山門使節は、実は義教に引き立てられた勢力だったのです。この辺を軽視すべきではないと考えています。

この辺は下坂守氏の以下の論文を参考にしています。下坂氏は山門騒動で殺された山門使節が実は義教によって引き立てられた事実を指摘しながら、この辺はそれほど重視していらっしゃいませんが、この辺を見直すことで義教神話を見直すことができるのではないか、と期待しています。

 

なお下坂守「山門使節制度の成立と展開 : 室町幕府の山門政策をめぐって」(『史林』58(1)、1975年)は以下のリンクで入手できます(pdf注意)。

 

https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/238223/1/shirin_058_1_67.pdf