オンライン歴史講座第5回(2月第一回)「倭寇」のお知らせ
オンライン歴史講座のお知らせです。
2月は室町時代の国際環境について議論していきます。
2月の第一回は倭寇です。
私の倭寇に関する見解は以下にまとめられています(pdf注意)。
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/hss/book/pdf/no81_04.pdf
目次を紹介しますと以下の通りになります。
1 海洋アジア論における倭寇理解
2 「倭寇」はどのように考察されてきたか
3 「倭寇」の用例
4 「倭」と「日本」
5 ある「倭寇」の実態−永享十二年の少弐嘉頼赦免をめぐって−
むすびに
まあこれは李領先生の『倭寇と日麗関係史』(東京大学出版会、1999年)をかなり参考にしています。李先生が主として南北朝時代における、いわゆる「庚寅以来の倭寇」の正体を少弐氏であると明らかにしたことをうけて室町時代においても少弐氏が倭寇の重要な構成メンバーであったことを明らかにしました。
あとは「倭寇」という言葉の成り立ちを分析して、そもそもそれが「日本人であるか否か」という問い自体が無意味であることを主張しています。
この論文は幸いにも『史学雑誌』112編5号の「2002年の歴史学会 回顧と展望」において黒嶋敏先生に取り上げていただいて、「高麗史などの「日本」を公的な交渉相手)室町幕府、それ以外を「倭」とする斬新な論点を提示。今後の議論を呼ぼう。」と非常にありがたい取り上げ方をされたんですが、残念なことに全く議論を呼びませんでした(´༎ຶོρ༎ຶོ`)
この論文を執筆した動機として一番重要なのは、しばらく論文を書けていなかった私を見かねた先輩が発表の場を作り出して書かせてくださったことが大きいのですが、一応格好をつけると、当時流行していた海洋史観に対する疑問があったことです。例えば川勝平太先生は「環シナ海域を舞台に日本人(だけでなかったが)は暴れまわった」と書き、小林多加士先生は「倭寇の活動を日本は巧みに体制内に取り込みつつ制御したのに対して、中国はそれを体制外に放り出し排除していた」ことが「中国と日本の明暗を分けた」として倭寇活動を日本の経済発展の原因になっている、という議論をしています。
いや、日本ってそんなに海洋指向だったっけ?というのが私の意見です。そもそも「倭寇」を「日本」というのはそんなに自明のことだっけ?とかいろいろ考えてしまいます。
倭寇は日本人とは限らない、というのは田中健夫先生、村井章介先生、高橋公明先生をはじめとした対外関係史研究の進展によって指摘されてきたことですが、1990年代後半ごろにはそれに対する批判的な見解が出てきたことも事実です。浜中昇先生や先ほどあげた李領先生などがそれに相当します。