正親町天皇の生涯ー天正四年正月一日〜十二月晦日ー訂正版
「言経卿記」を「言継卿記」と混同していたので訂正しました。
天正四年
正月
一日、四方拝
御湯殿上日記、言継卿記、公卿補任
四日、千秋万歳、五日、また同じ
御湯殿上日記、言継卿記(正月四日・五日)
五日、叙位を停止
続史愚抄
七日、白馬節会を停止
続史愚抄
八日、太元帥法
御湯殿上日記(正月八日・十四日)、続史愚抄(正月八日・十四日)
十五日、三毬打
御湯殿上日記、言経卿記
十六日、踏歌節会
続史愚抄
十七日、鵠包丁御覧
御湯殿上日記、言経卿記
十九日、和歌会始を延引
御湯殿上日記(正月十五日・十九日)、言経卿記(正月十六日)
二十四日、貝合、のち又このことあり
御湯殿上日記(正月二十四日・五月二十六日)
二十八日、誠仁親王の御所に行幸
言継卿記(正月二十三日・二十八日・二十九日)、御湯殿上日記(正月二十九日)
二月
七日、看経あり、のち数このことあり
御湯殿上日記(二月七日・十日・十一日・十二日・三月七日・十日・十二日・四月十日・十一日・十二日・五月十日・十一日)
八日、春日祭延引
続史愚抄
十日、泉涌寺長老参内、受戒
御湯殿上日記
二十五日、北野社法楽当座和歌会
御湯殿上日記、言継卿記、言経卿記
二十六日、小御所において楽会始、箏の所作あり
御湯殿上日記、言継卿記、言経卿記
三月
六日、女房舞
御湯殿上日記、言継卿記、言経卿記
十九日、内侍所法楽和歌会
言継卿記、言経卿記、御湯殿上日記
二十七日、春日祭追行
御湯殿上日記、言継卿記、言経卿記、公卿補任
この日、庚申待、十炷香
御湯殿上日記、言継卿記、言経卿記
四月
二日、蹴鞠、二十一日、また同じ
言継卿記(四月二日・二十一日)
四日、内侍所法楽楽会、箏の所作
御湯殿上日記(四月二日・四日)、言継卿記、言経卿記
七日、後柏原天皇聖忌、伏見般舟三昧院において経供養、この日禁裏で看経
御湯殿上日記
十一日、これより先廷臣に和歌明題抄を書写せしめしが、この日、その一部竟る
言継卿記(四月九日・十一日)言経卿記(二月三日・四月九日・四月十一日・二十二日・二十五日)
十九日、歌舞の興あり
御湯殿上日記
二十二日、摂津国柴島法花寺の霊宝を召して叡覧
言経卿記(史料編纂所本)
二十三日、山科言経を召して六条八幡宮縁起、融通念佛縁起を読ましむ
言経卿記(史料編纂所本)
二十九日、禁中屋根葺
御湯殿上日記
五月
一日、山科言経に祇王縁起を見せしむ
言経卿記(史料編纂所本)
七日、右大将織田信長の出陣祈祷のため、石清水八幡宮法楽楽会、箏の所作
御湯殿上日記、言継卿記、言経卿記
この日、来たる十六日より五壇の護摩を所々において修せしむ
御湯殿上日記
十二日、右大将織田信長の出陣祈祷のため、この日より七日間、清涼殿において不動護摩を修せしむ
言継卿記(五月十二日・十三日・十四日・十五日・十八日)、言経卿記(五月十二日・十三日・十四日・十五日・十六日・十七日・十八日)
二十三日、この月の祈祷に大般若経のことを若王子に仰せ付ける
御湯殿上日記
二十四日、愛宕社に代官詣
御湯殿上日記
二十八日、不予
御湯殿上日記、言継卿記(六月二日、四日)
六月
四日、延暦寺六月会を停止
続史愚抄
十一日、これより先、天変あり、よってこの日、安倍有脩に勘文を上らしめる
言経卿記(六月十日・十一日・十二日・十五日)
十二日、看経、のち又このことあり
御湯殿上日記(六月十二日・九月五日)
十四日、祇園御霊会
言継卿記、言経卿記(六月七日・十四日)
二十五日、北野社法楽当座和歌会
言継卿記(柳原本)(六月二十四日)、御湯殿上日記
七月
七日、七夕節。和歌会並びに楽会
御湯殿上日記(七月七日・八日)、言経卿記(七月四日・五日・七日)
十日、受戒
言経卿記
十二日、お囃子
御湯殿上日記
十八日、御霊祭
言経卿記
二十三日、来たる八月二日、故権大納言四辻季遠の忌み日により香典をその子権中納言公遠に賜う
御湯殿上日記、公卿補任
二十六日、飛鳥井雅敦に源氏物語夕霧の巻を書進せしめる
御湯殿上日記
八月
四日、別殿行幸
言経卿記
二十一日、聖護院准后道澄に源氏物語の夢浮橋の巻を書写せしむ
御湯殿上日記
二十五日、蹴鞠、のち数このことあり
言経卿記(八月二十五日・九月六日・八日・十五日・二十一日・二十二日)
九月
五日、後奈良天皇の聖忌、この日泉涌寺長老を召して受戒
御湯殿上日記
九日、重陽節、和歌会
御湯殿上日記(九月二日、九日)、言継卿記(九月三日)、言経卿記(九月九日)
十三日、観月当座和歌会
御湯殿上日記、言継卿記、言経卿記
十一月
十三日、神泉苑池を修理再興せしめ、東寺に天下泰平を祈らしめる
続史愚抄
二十一日、右大臣九条兼孝を左大臣に、内大臣一条内基を右大臣に、権大納言織田信長を内大臣に任ず
言継卿記、言経卿記、兼見卿記(十一月二十一日・二十三日)、公卿補任
十二月
十五日、興福寺維摩会
言継卿記