足利義教と織田信長
確かに比叡山焼き討ちとか、強圧的な政治とか、沸点や発火点が極めて低くすぐにキレるところとか、確かによく似ています。
しかしだからと言って信長が義教を目標にしていた、とかいうのは冗談のレベルで留めておくべきです。そのような史料はありません。まあなくてもそこは歴史捜査とかで説明できるかもしれませんが、実際は無理です。なぜかと言えば、信長自身が次のようにいっているからです。
織田信長「世の中のみんな義昭様を『悪い御所』と呼んでますよ。義教様のことも同じように言われてますが、どういうことでしょうねミャハ☆彡」
足利義昭「くぁwせdrftgyふじこlp」
「異見十七条」の十七条目を意訳。
第一条と第十七条を合わせると「朝廷をもっと大事にしないとお兄さんみたいな死に方しますよ」となります。信長は義輝と義教という、暗殺された将軍を並べることで、義昭に圧迫を加えているわけで、「部下に殺される奴には殺されるだけの理由があるんですよ」といっているわけです。当たり前ですが部下に反乱を起こされて殺される、というのはかっこいいものではありません。信長も義教や義輝のようにだけはならないでおこうという気持ちがあったと考えるのが自然です。
ちなみに信長が明智光秀に囲まれた時にどう思ったかはわかりませんが、義昭は以下のように思ったでしょう。
「信長ブーメラン乙pgr」
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