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室町・戦国時代の歴史・古文書講座

歴史学研究者、古文書講師の秦野裕介がお届けする室町・戦国時代の知識です。

穢について

この年の後花園天皇の生涯については穢(けがれ)の問題が二回出てきます。

 

閏二月二十七日、軒廊御卜(こんろうのみうら)が行われます。これは吉田社が「五体不具穢」となったためです。

 

これはネット上ではまた間違いが散見されるのですが、意味は身体の一部が欠損した遺体があった場合の穢です。犬などが遺体の一部を運んできて隠した結果、穢が発生する、という形です。厳重に警戒していてもトビが骨の一部を落として発生することもあります。

 

完全な遺体が存在した場合は死穢といい、30日間の触穢となることが決められていますが、遺体の一部の場合は七日間と短縮されます。

 

もう一つは七月二十六日です。

 

死穢が禁中に発生し、多くの公家が触穢となりましたが、後花園天皇石清水八幡宮放生会を無事に行うために触穢となっていない公家に出席を命じています。

 

穢の内容ですが、禁中に犬に食われた嬰児があった、ということなのですが、これを見て後花園天皇や廷臣がこの嬰児に哀れみを催すことはなかったでしょう。翌月の石清水八幡宮放生会が無事行われるかどうか、で頭が一杯だったでしょう。

 

我々からすれば「いやいや、その赤ん坊の運命に想いをはせろよ」と言いたくなりますが、当時の支配階級の考えはそんなものです。

 

その赤ん坊が生前に犬に食われて死亡したものか、死亡した遺体を廃棄してそれが犬に運ばれて禁中にやってきたのか、わかりませんが、とりあえずそこに過酷な現実があることは事実です。

 

この点については故三浦圭一氏が「下克上の時代の一側面」(『中世民衆生活史の研究』思文閣出版、1981年、初出1969年)において嬰児殺害の事例をいろいろ述べていらっしゃいますが、そこでフロイスの『日本史』の記事を挙げています。そこでは嬰児を殺すために「母親が幾分の人間らしさを示そうとすれば」「犬が食いに来る濠の中に子供を投げ込む」とあります。三浦氏はこれについて「宣教師にとって黙止すべからざる惨状が、当時の日本人にとっては日常化し、麻痺しているかの如き様子」(277ページ)と述べていらっしゃいます。

 

当時の人間の意識などそのようなものだ、というのは簡単です。問題は現在の我々が今みてどう考えるか、です。子供の問題にしても、穢による差別の問題でもそうです。問われているのは後花園天皇やその周辺の人々の考えではありません。現在の我々がそれを見て、現在の価値観に照らしてどう考えるか、が問われているのです。