将軍藤原頼嗣家政所下文(『朽木家古文書』119 国立公文書館)
古文書入門です。
今回も前回と同じく国立公文書館の写真版の番号と『史料纂集』とは一つずれています。
とりあえず原文です。
翻刻です。
将軍家政所下 丹後国倉橋庄内与保呂村住人
補任地頭職事
前宮内大輔平朝臣
右人、為彼職任先例可致沙汰之
状如件、以下
建長三年八月三日 案主菅野
令左衛門尉藤原 知家事清原
相摸守平朝臣(花押)
読み下しです。
将軍家政所下す 丹後国の倉橋庄内の与保呂村の住人
地頭職に補任するの事
前宮内大輔平朝臣
右の人、彼の職として先例に任せ沙汰致すべきの状件の如し。以って下す。
下文(くだしぶみ)は「◯◯下す」という形が取られることから「下文」と呼ばれます。基本的には知行宛行(新恩給与)と譲与安堵(所領の譲与の将軍家による保障)に使われます。
将軍家政所下文には将軍家の花押はなく、ここでは花押が捺されているのは北条重時と北条時頼だけです。北条重時が連署で北条時頼が執権です。このような形になるのは承久の乱後で、北条氏による政治的実権の掌握という側面と、将軍家政所下文が実質的な働きを失いつつあることを示しています。14世紀初頭には「外題安堵」と言う形で譲状の余白に下知状の形式で文言を書き入れる形になります。
ここで地頭職に補任されているのは平光度です。平頼盛の子孫です。