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室町・戦国時代の歴史・古文書講座

歴史学研究者、古文書講師の秦野裕介がお届けする室町・戦国時代の知識です。

拙著『乱世の天皇』見どころ13ー天皇論との関わり

前エントリに引き続き今谷明氏による『週刊エコノミスト』2020年9月1日の書評に関連した話です。

 

weekly-economist.mainichi.jp

今谷氏は次のように述べます。

戦後の論壇では天皇に関する問題は甚だ微妙であり、学界でも天皇の事績を論ずることはタブー視されてきた。

(中略)

前述のような昭和時代の論壇・学界のあり方からすると全く隔世の感に堪えない著作であり、またある面からすると、歴史上、天皇の位置付けが一変したことを如実にあらわすと言えよう。

 秦野裕介著『乱世の天皇 観応の擾乱から応仁の乱まで』(東京堂出版、2500円)は、前述のような昭和時代の論壇・学界のあり方からすると全く隔世の感に堪えない著作であり、またある面からすると、歴史上、天皇の位置付けが一変したことを如実にあらわす
 秦野裕介著『乱世の天皇 観応の擾乱から応仁の乱まで』(東京堂出版、2500円)は、前述のような昭和時代の論壇・学界のあり方からすると全く隔世の感に堪えない著作であり、またある面からすると、歴史上、天皇の位置付けが一変したことを如実にあらわす

 

これについて私なりに天皇論を整理しておきたいと思います。

 

教科書でまず後花園天皇は出てきません。教科書どころか、歴史学の論文でも後花園天皇をはじめとする室町時代天皇が出てくることはほぼありません。さらりと流されてしまいます。

 

しかし今年に入って堰を切ったように室町時代天皇に関する著作が次々と出版されました。

 

ここに至るまでの天皇歴史学的研究についての流れを簡単に押さえておきます。

 

天皇の歴史に言及される時、それは今谷氏が述べるように嵯峨天皇までと孝明天皇からが中心です。嵯峨天皇までの天皇はその多くが著名な天皇であり、嵯峨天皇よりあとの天皇は急に影が薄くなります。

 

院政期の白河・後白河・後鳥羽を除くと天皇の歴史はほぼ等閑視され、後醍醐天皇は派手ですが、室町時代に入るとほぼ無名の天皇が続きます。

 

なぜでしょう。

 

戦前にはすでにその傾向が現れます。その答えは時代祭にあります。時代祭は驚くべきことに2007年まで室町時代の行列がありませんでした。吉野時代はありました。つまり学界だけではなく、社会が室町時代をなかったものとしてきたのです。逆賊の作った時代である室町時代はその存在が抹殺されてきました。それが21世紀に入るまで続いてきたことが驚きです。

 

学界ではどうだったのでしょうか。

 

室町時代天皇武家のお飾りでしかない、これが長い間学界での共通認識でした。封建領主階級の支配を荘厳するだけの金冠ということです。従って独自に研究する意味などない、これが史的唯物論に立脚する学派の見解でした。

 

そのような中、天皇の歴史を研究する研究者もいました。奥野高広氏の研究は有名です。奥野氏の代表的な研究である『皇室御経済史の研究』の苦労話は非常に興味深いです。

 

この著作は戦時中の1942年に出されています。天皇の研究、ということで時流にのっている、と思われるかもしれませんが、事実は逆です。戦時中、神聖なる天皇の歴史の内実に迫るのはタブーでした。奥野氏自身、あとがきで述べていますが、「不敬」という批判もあったそうです。天皇については天皇に対する忠義の歴史を述べるべきであって、天皇家の内実を覗き見るような研究は「不敬」だったのです。

 

これは別に戦前だけではありません。今谷氏も講演を「天皇」という言葉が入っているだけで中止に追い込まれた体験を『天皇家はなぜ続いたか』で述べていらっしゃいます。昭和の終わり頃はそういうタブーが健在でした。

 

戦後は先ほど述べたような事情で天皇の研究は、特にマルクス主義の立場に立つ論者に間では「暴力装置」である国家のイデオロギー装置という位置付けを与えればそれでよく、その内実に迫ることは「天皇の延命をはかるもの」として批判されました。

 

1960年代あたりからその風向きが変わってきます。黒田俊雄氏が朝廷・幕府・寺社勢力が相互補完的に国家を形成する「権門体制論」を提示し、朝廷研究の必要性が提唱されます。

 

1970年代には網野善彦氏の『無縁・公界・楽』で社会史ブームがきます。社会史を一言でわかりやすく言いますと、「年号のない歴史学」です。人々の生活や日常意識にフォーカスした研究で、フランスのアナール学派の影響が指摘されます。

 

1986年の『異形の王権』で網野氏は後醍醐天皇を取り上げ、後醍醐天皇天皇を支えてきた非農業民を動員し、倒幕を成功させ、一気に崩壊したことで天皇の権威は地に落ちながらも、非農業民らによって支えられてきた、と主張しました。

 

ちょうど昭和も終わりにさしかかったころの網野氏の研究は天皇研究にも大きな影響を与えます。

 

ちなみに私が大学に入学したのが1986年で、そのころは網野氏の著作が出るたびに大学でも話題になり、レジ横に平積みされ、飛ぶように売れていた時代でした。

 

1989年、昭和から平成への代替わりが行われ、天皇に関する議論が盛り上がります。そのような中、網野氏に代表される社会史の立場からのアプローチに対して「結果論的解釈」と批判し、「政治的存在」である以上、「政治史の問題」として分析する努力が必要と主張しました。

 

今谷氏は先ほど挙げた『天皇家はなぜ続いたか』で網野氏と対談していますが、なかなか興味深い指摘がいろいろされています。

 

実は今谷氏が挙げた「天皇の事績を論ずることはタブー視されてきた」というのは、むしろここでの網野氏と今谷氏の対談の中でいろいろ明かされています。

 

つまるところ「民衆の立場からの史料」を分析せずに、公家や武家の史料だけで分析すると批判された、というものです。『室町の王権』も「民衆史の立場からどう位置づけ直すか」が課題とされたりしたわけです。

 

拙著についても当時ならば「民衆史の立場から後花園をどう位置づけ直すか」という批判がなされたことでしょう。「知らんがな」としか言いようがありませんが。まあ後花園の場合は「寛正の飢饉」があり、「嘉吉の徳政一揆」があり、で結構民衆史にも踏み込んでいます。もっとも嘉吉の徳政一揆はほぼ今谷氏の『土民嗷々』に依拠していますが。

 


室町の王権―足利義満の王権簒奪計画 (中公新書)

 


天皇家はなぜ続いたか

 


土民嗷々―一四四一年の社会史 (創元ライブラリ)

 


無縁・公界・楽 増補 (平凡社ライブラリー)

 


異形の王権 (平凡社ライブラリー)