拙著『乱世の天皇』見どころ10ー読み仮名再び
拙著『乱世の天皇』(東京堂出版)の見どころというか、苦労の跡です。
読み仮名にかなり力を入れている話をしていますが、僧侶の名前も悩みどころです。
例えば誰でも知っていると思いますが、源実朝を暗殺した「公暁」、もうこれはガチで「くぎょう」と読むと思っていたら、どうやら近年では「こうきょう」と読むらしい、という話があって、少々びっくりです。
私は僧侶の名前については悩んだ時は「呉音」で読む、ということを原則にしておりまして、先ほどの「公暁」も呉音です。近年は漢音だった、ということなのですが、実は意外と漢音で読まれる僧侶は多いです。
南都の興福寺の一乗院門跡に覚慶という人がいます。読み方は多くの場合「かくけい」「かっけい」となっていますが、呉音で読むならば「かっきょう」ではないか、と思います。しかし今までこの「覚慶」を「かっきょう」と読んでいるケースは見たことがありませんので、私も『虚像の織田信長』(柏書房)では「かくけい」としておきました。
ちなみにのちの足利義昭です。
義昭といえば足利義満の子息にも「義昭」さんがいます。ただし彼の場合読み方は「ぎしょう」です。大覚寺門跡ですから。
ただ知り合いにこれを何度正しても「よしあき」と読む方がいらっしゃって、ご本人もわかっていらっしゃったようですが、もうあそこまでいくとくせですね。
同じような例は東寺領荘園の「上野荘」で経験しています。これは「かみののしょう」と読みますが、いくら指摘してもそこにいる全員が「うえののしょう」と読んでいます。最近では諦めています。これは現在桂川の「上野橋」(かみのばし)がかかっているところです。
小倉宮家に聖承という人がいます。後花園天皇が即位したときにブチギレて伊勢に出奔し、伊勢国司の北畠満雅の庇護下に挙兵した人です。
彼の読み方は多くの書物では「せいしょう」となっていますが、ここは「迷ったら呉音」の私はあえて「しょうじょう」と読みました。
後ろの「承」は「じょう」と濁るはずです。なぜなら「承」の字は、長慶天皇の皇子で相国寺や南禅寺の住持を務めた高僧の「海門承朝」(かいもんじょうちょう)から取られているからです。
ちなみに小倉宮聖承の名前は出家後の名前で、諱は伝わっていません。
出家名といえば大名や天皇や親王も出家して名前が変わることがあります。
我々は「貞成親王」(さだふさしんのう)という言葉を普通に使いますが、実際に貞成さんは親王宣下から半年後に出家に追い込まれていますので「貞成親王」であったのは半年です。出家後には「道欽入道親王」となります。ただ貞成親王という呼び方が一般的なので、彼の場合は出家後も「貞成親王」で通しました。
このような例として畠山満家があります。彼は出家後は「道端」(どうたん)、息子の持国は「徳本」(とくほん)、赤松満祐は「性具」(しょうぐ)と名乗っていますが、ここはいちいち名前を変えると混乱を招きかねないので、そのまま俗名を使っています。
貞成親王については追号があり、「後崇光院」といいますので、「後崇光院」も考慮しました。論文ではかつてそれで下書きを完成させながら急遽やめにしたこともあります。やはりそこは一番有名な言い方に統一すべきと思ったからです。
ややこしいのは山名宗全です。彼の場合は俗名の山名持豊も有名で、嘉吉の乱などでの活躍を「山名宗全は・・・」と書くのがなんとなく気が引けたので、嘉吉2年の出家までは「山名持豊」、出家後は「山名宗全」としておきました。
天皇は譲位すると太上天皇、略して上皇と呼ばれ、上皇が出家すると太上法皇、略して法皇と呼ばれるのは周知の事実に属しますが、後小松は出家後の話と出家前の話が前後して出てくるシーンがあります。ここで「後小松法皇」「後小松上皇」がグダグダと出てきては混乱します。そこで拙著では天皇は基本的に追号の一部、つまり「院」を抜いて表記することにしました。「後小松」「後花園」というように表記しています。
実は追号を決めるシーンはややこしいので工夫が必要でした。
例えばこんな文章、ややこしさのあまり読みたくなくなるでしょう。
親長が後花園を推したのは、彼が後花園に近侍していたからであろう。
意味がわかりませんね。そこで私は「後花園」を諱の「彦仁」で表記しようかな、と考えたこともあります。しかし難点があります。
はい、誰のことか、分かりませんね。これ「後醍醐天皇は」とすると分かりやすくなります。
天皇彦仁は赤松性具入道を討てという綸旨を下した。
やはり何のことかわかりません。
「天皇彦仁」案はボツになりました。
親長が「後花園」を推したのは、彼が後花園に近侍していたからであろう。
こう書けばわかります。
もう一つ悩むのは幼名です。
足利義勝の幼名は「千也茶丸」といいます。これを「ちやちゃまる」と読むか、「ちゃちゃまる」と読むか。
恥ずかしながら私は長い間「せんやちゃまる」と誤読していましたのでどちらでもよかったのですが、「千也」に「ちゃ」という読み仮名を振るのが面倒くさかったので「ちやちゃまる」としました。「丸」が厳密には「まろ」と読むことが多かったようで、「ちやちゃまろ」が正しいのでしょうが、もし違っていたらそれはそれで恥ずかしいので、冒険せずに「ちやちゃまる」を採用しました。
困ったのは「三春」です。足利義政の幼名ですが、「さんはる」か「みはる」か、これについては振り仮名を見たことはありません。ここは諦めて「みはる」と呼んでおきました。