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室町・戦国時代の歴史・古文書講座

歴史学研究者、古文書講師の秦野裕介がお届けする室町・戦国時代の知識です。

今川義忠にみる戦国大名化の契機ーゆうきまさみ氏『新九郎、奔る!』を解説する

『新九郎、奔る!』第8巻の表紙は今川義忠です。

 


新九郎、奔る!(8) (ビッグコミックス)

 


新九郎、奔る!(8) (ビッグ コミックス) [ ゆうき まさみ ]

 

 

今川家で最も有名な今川義元の祖父にあたり、北条早雲こと伊勢新九郎の義兄にあたります。今川義忠の突然の戦死とその後のお家騒動への関与が北条早雲こと伊勢新九郎の台頭のきっかけでした。

 

この今川義忠の時代に実は今川家の戦国大名化の契機があります。この辺を上手に『新九郎、奔る』第8巻では説明されています。

 

 

戦国大名」はそれまでの「守護大名」とどう違うのでしょうか。

 

戦国大名とは何か、という問いの答えはまだ統一したものはありませんが、最大公約数的に見れば、数郡から数国規模の広い領域を支配し、家中と国衆を支配し、朝廷や室町幕府という観念的な権威以外には服さず、独自の支配を打ち立てている、ということになるでしょう。

 

戦国大名には守護もしくは守護家の一族が守護としての権力をそのまま戦国大名化していったパターン、守護代もしくはその一族が守護を滅ぼし、あるいは傀儡化して実権を掌握するパターン、そして国人領主が実力で周辺の国人を従え、守護や守護代を滅ぼしたり傀儡化して権力を掌握するパターンがあります。

 

今川家・武田家・島津家・大友家などが第一のパターンに属します。少数派のイメージですが、意外と多く存在します。第二のパターンはかなり多く、有名なところでは織田家・朝倉家・尼子家・越後上杉家あたりが該当します。有名どころはここが多いと思います。第三の国人から台頭したパターンとしては毛利家・松平家・浅井家・長宗我部家・龍造寺家などがあります。大体十六世紀後半に台頭する家が多い気がします。

 

まずは今川義忠自身が戦国大名化への道を歩んでいるセリフを『新九郎、奔る!』の中から紹介します。

 

第8巻153ページからです。

場面は細川政元(聡明九郎)と山名政豊の和睦が成立したものの西軍の主流は戦意旺盛で、西軍の斯波義廉は越前奪還を狙って朝倉孝景に返り討ちにあったところです。そしてその知らせが駿府の今川義忠のもとまで届いたところです。

 

義忠「聞いたか、新五郎(範満)!斯波は義廉も義敏親子も越前のことで手一杯だ!双方とも浅倉ずれに圧迫されて青息吐息よ!!」「しかもだ!斯波は遠江守護代らしき者も置いておらぬ。仕置きする気がないとしか思えん!これは我らに「遠江を奪れ」と申しているようなものではないか!」

新五郎範満「さりとて、遠江守護はいまだ武衛家(斯波)のままでござる。力尽くで奪おうとすれば、どんなお叱りがあるか判りませぬ。」

義忠「案ずることはない。斯波に遠江を強める力がないことを見せつけてやれば京都は我らを追認する」

範満「それは楽天的すぎまする!」「遠江への出陣が避け得ぬものといたしましても御屋形様には分限を守った戦をしていただきたく存じまする」

義忠「新五郎、つまらぬ男だなあ、お主は」

 

少し遠江国と今川家について説明しますと、今川家は範国の代に駿河遠江の守護に任命されます。これは『逃げ上手の若君』のモチーフである中先代の乱北条時行諏訪頼重軍に今川軍は敗北し、今川頼国ら三人が戦死した代償でした。この辺は160ページで義忠が「駿河遠江は中先代の折、家祖範国公の三人の兄上が討ち死にして賜った二国ぞ」と言っています。

 

範国の子の範氏は駿河守護を継承し、もう一人の子の貞世は九州探題と安芸・備後守護を兼ね、さらに肥前筑前・肥後・豊前を探題領国として与えられました。貞世は九州を制圧しますが、独自の外交を朝鮮と行ったことなどから足利義満に警戒され、九州探題を解任され、駿河遠江半国守護とされます。さらに範氏の子の今川泰範の恨みを買って讒言され、大内義弘の起こした応永の乱に関与した疑いをかけられ、全てを失います。貞世の弟の仲秋と分け合っていた遠江は今川家の手を離れ、斯波武衛家に属することになります。貞世の子孫は遠江国に土着し、堀越(ほりこし)を名乗り、遠江今川家となります。貞世は出家後は了俊といい、そちらの名前の方が有名です。

 

149ページで伊都が新九郎に「普通の『太平記』じゃないんだって。今川了俊って方が書いた同人誌!」と言っていますが、この「同人誌」は『難太平記』と言われるものです。

 

今川了俊の子孫である堀越今川家の有名人としては169ページに出てくる堀越陸奥守(貞延)もいますが、何よりも「どうする、家康」の前半のヒロインである瀬名姫(築山殿)が有名でしょう。

 

今川義忠は実力で遠江を奪還する動きを開始し、幕府から懸革荘・河匂荘の代官に任命されたことを梃子に周辺を実力で切り従え、斯波氏の被官の狩野宮内少輔を討ち取って『新九郎、奔る!』では幕府の伊勢貞宗から「無茶苦茶だ!」と言われています(163ページ)。そして貞宗はそのことについて盛定と新九郎に愚痴りますが、新九郎から「いったい何があったのです?」と聞かれた貞宗に「前ページまでの解説を読め」と言われ、『ビッグコミックスピリッツ』を読んでいる新九郎と盛定が大声で「うっわぁぁぁ!」と叫んでいるシーンがあります。

 

遠江国の支配は堀越貞延に委ねられます。かつて遠江を支配した今川了俊の子孫としては当然、ということでしょうが、これは室町幕府の支配を逸脱した行為であり、幕府はそれを認めていません。幕府は斯波義廉重臣であった甲斐敏光(甲斐将久の子)を東軍に寝返らせ、遠江守護代とします。この結果遠江は斯波家の領国となりました。

 

義忠はその動きに従わず、堀越貞延は甲斐敏光の支配下に入った在国奉公衆の横地氏と勝田(かつまた)氏に襲撃されて戦死します。義忠は横地・勝田を討ち取り、守護代の甲斐敏光を追放します。幕府の権威に従わず、自力で遠江国に支配を貫徹します。作中ではその知らせを聞いた伊勢貞宗は「なんで!?」と呆気に取られた顔をし、「陸奥守(堀越貞延)は昨年広げた版図を国人たちに返還せよとの命に従わなかった。それを知ってか弔い合戦のつもりならば心得違い!上総介(義忠)は逆賊だ!!」と怒りを表明しています。このまま進めば義忠は幕府に反抗して自力で遠江国を切り取り、幕府にその実効支配を追認させる「戦国大名」として成長したかもしれません。

 

この義忠の動きは横地氏の残党によって義忠が戦死することで止まり、その後は堀越公方や扇谷上杉氏の支援を受けた今川新五郎範満が暫定的に家督を継承し、義忠の子の龍王丸はのちに幕府の支持もあって範満を打倒して家督につきますが、この龍王丸、のちの氏親によって遠江国は今川氏の版図に入り、氏親とその補佐役となった新九郎によって今川氏は戦国大名化を成し遂げます。さらに新九郎の子孫は南関東を自力で制圧し、戦国大名の典型とも言われる体制を作り上げます。

 

そのような戦国大名化を進める義忠に対して新五郎はあくまでも幕府の権威を守ろうと作中ではしています。そのような新五郎の真面目さを義忠は「つまらぬ男」と評しています。