記載されている会社名・製品名・システム名などは、各社の商標、または登録商標です。 Copyright © 2010-2018 SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved.

室町・戦国時代の歴史・古文書講座

歴史学研究者、古文書講師の秦野裕介がお届けする室町・戦国時代の知識です。

御由緒六家ーゆうきまさみ氏『新九郎、奔る!』を解説する

御由緒六家というのがあります。後北条氏の古参家臣団である大道寺を筆頭に荒川・荒木・在竹(有滝)・多米(多目)・山中の六家に松田を加えて七家ということもあるようです。

 

詳しくは下のウィキペディアをご覧ください。

御由緒六家 - Wikipedia

 

ゆうきまさみ氏の『新九郎、奔る!』でも当然彼らは重要な位置付けです。

 

大道寺太郎は新九郎の乳兄弟(新九郎の傅役の大道寺右馬介の子)にして従兄弟(太郎の母と新九郎の母が姉妹)という関係で、赤ん坊のころから一緒に育ってきているので「新九郎」と呼び捨てでタメ口です。初出も第1巻の冒頭(つまり第一話)と早く、また伊都(北川殿)への恋心を持っており、新九郎(当時は幼名の千代丸)に「あーゆーの好み?」と突っ込まれています。図体が大きく(在竹三郎に「ズータイばかりでかくなりやがって」と突っ込まれています)、腕っ節も強い(新九郎に「右馬介譲りの腕っぷしがあるのだろうが」と言われています)頼りになりそうな人物です。永正七年(一五一〇)小田原城で戦死した、と考えられています。子孫は後北条氏重臣となり、太郎の玄孫の大道寺政繁は小田原の役で切腹させられています。子孫は越前藩・尾張藩弘前藩・旗本などとして江戸時代に残りました。

 

荒川又次郎と在竹三郎は荏原からやってきて八郎の家臣となり、八郎の不慮の死によって新九郎の家臣となります。応仁の乱の初頭に備中は周囲を山名の領国に囲まれたために大変な苦労をして何とかこの二人だけ命からがらたどり着いたような描写がなされています(第2巻52ページ)。「無事であればあと二・三人は」と物騒なことを言っています。落ち着いた荒川又次郎は家臣団のリーダー格、又次郎より少し若い在竹三郎はサブリーダー格でお調子者のムードメーカーという設定です。

 

次に登場するのが山中才四郎で登場当初は駒若丸という幼名で登場しています(第4巻10ページ)。走り出てきて「新九郎様!」と叫んだところ伊勢貞親に「なんじゃ、騒々しい」と叱られますが、貞親は新九郎の居場所を教えてやるなど、「天下の佞臣」のイメージとは違い優しいところもある人物として描かれています。駒若丸は荏原行きの人員を選ぶ際に「連れてってくださりませーっ」「背負う時洗濯なんでもいたしますぅ」と叫び、盛定に身の回りの世話を命じられ喜んでいます。盛定は新九郎に「手をかけて股肱として育てておけ」と耳打ちしますが、新九郎は「えこひいきになりませんか?」と返し、「ほんとーにめんどくさい奴だな」と言われています。

 

荒木彦次郎は寡黙な一匹狼で、剣術の腕が立つため、新九郎の護衛役としての活躍が目立ちます。初登場は4巻45ページでいきなり喧嘩のシーンです。新九郎に抜擢されたことが嬉しかったのか、新九郎のためなら命も擲つ人物として描かれています。

 

現状ではこの五名が御由緒六家の中で新九郎に従っていますが、残りの多米権兵衛はどうしたのか、と思っていますと7巻144ページで西軍の政所執事となった伊勢貞藤の家人として現れています。貞藤を通じて山名宗全と碁の勝負をした新九郎ですが、帰り道に畠山義就大内政弘の内意を受けた集団に襲撃され、危ないところを人足に扮した多米権兵衛に救われます。彦次郎の戦い方にもアドバイスを送るなど、かなりの経験を積んだ有力な武士と思われます。

 

この中で大道寺は家老ですが、山中氏は相模三崎城代を務める有力家臣に、多米・在竹・荒川は軍事集団である足軽衆を構成するメンバーとして記録に残っています。荒木については初期にその姿が見えますが、その後は姿が見えず、「早い段階で没落」と見られています(黒田基樹氏『戦国大名・伊勢宗瑞』)

アマゾン


戦国大名・伊勢宗瑞 (角川選書)

 

楽天ブックス


戦国大名・伊勢宗瑞 [ 黒田 基樹 ]

 

ここで私が注目しているのは荏原編でやたら存在感を発揮していた笠原弥八郎です。第4巻58ページで初登場します。備中国東荏原荘高越山城の城主が伊勢盛定ですが、その城代を務めているのが笠原美作守です。その三男が弥八郎で、荏原についた新九郎一行の扱いに不審を覚えた在竹三郎は弥八郎に事情を聞くことにしますが、その時に「親父を斬りにいたか!?」と発言し、三郎から「なんか心当たりがあるのかよ」と突っ込まれています。その後もさりげなく登場してきます。

 

この家は侮れない家で、笠原美作守家は伊豆衆として名前が見えます。新九郎が伊豆に進出したあたりで新九郎に従ったようで、笠原信為が小机衆を率いて活躍し、鶴岡八幡宮造営総奉行を大道寺盛昌(太郎重時の子)とともに務めています。ということは信為の父の氏冬が弥八郎ということになりそうです。

 

アマゾン


新九郎、奔る!(4) (ビッグコミックス)

アマゾン


新九郎、奔る!(7) (ビッグコミックス)

 

楽天


新九郎、奔る!(4) (ビッグ コミックス) [ ゆうき まさみ ]

楽天


新九郎、奔る! 7/ゆうきまさみ【3000円以上送料無料】