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室町・戦国時代の歴史・古文書講座

歴史学研究者、古文書講師の秦野裕介がお届けする室町・戦国時代の知識です。

伊都(新九郎姉)「家族か・・・減っちゃったねぇ」ーゆうきまさみ氏『新九郎、奔る!』を解説する

『新九郎、奔る!』第8巻93ページの北川殿(伊勢宗瑞姉、作中では伊都)のセリフ「家族か・・・減っちゃったねぇ」の解説です。

 


新九郎、奔る!(8) (ビッグコミックス)

 


新九郎、奔る!(8) (ビッグ コミックス) [ ゆうき まさみ ]

 

場面は新九郎が伊都の若君(竜王丸、後の今川氏親)誕生祝いに駿河に駆けつけるシーンで、この旅費捻出関係で以下のエントリで紹介した事例である盛定による鎧の売却が発生しています。

 

sengokukomonjo.hatenablog.com

この時の駿河行きはフィクションですが、色々と伏線が貼られています。これも追々解説したいと思います。

 

伊都と水入らずで話している新九郎ですが、そこで次のようなやりとりがあります。

 

伊都「こう見えてケッコウ丈夫なの!」

新九郎「「こう見えて」の意味が分かりかねますが、丈夫なのは知っております。」

新九郎「家族が皆風邪をひいた時も姉上だけ平気で」

伊都「ちょっと待ちなさい。あたしがバカだと言うの?」

新九郎「さようなことは申しておりません。」

 

というようなやりとりがあって冒頭の「家族か・・・減っちゃったねぇ」という絵リフが出てきます。

 

ここまでで伊都は兄の八郎貞興、母の須磨(伊勢貞親の妹)を失っており(実際には両名の没年は不明だが、少なくとも貞興が盛時成人時までには死去)、そのことを言っているのですが、彼女の家族はこの後もどんどん減っていくので、この何気ないセリフはあとへの伏線となっています。

 

彼女の父の伊勢盛定がいつ死去したのかは不明なのでこれは置いておきます。

 

彼女の関係者で真っ先にこの世を去るのは夫の今川義忠です。文明8年(1476)2月6日、遠江国の在国奉公衆の勝田・横地氏を討伐に出かけた義忠はその帰途に勝田・横地氏のザンとの襲撃を受け、落命します。この経緯は第8巻の主題をなしています。そしてその死去が新九郎を歴史の表舞台に押し出す大きなきっかけになるのですが、それはまた別に解説します。

 

その後新九郎の尽力もあって彼女は安らかな日々を過ごすことになります。弟の新九郎も駿府に在住して北川殿と氏親をサポートし、新九郎は氏親を連れて遠江三河まで出兵し、今川家のために奮戦します。

 

その彼女の次の家族との別れは新九郎でした。新九郎こと伊勢宗瑞は永正16年(1519)8月16日、66歳で伊都に先立ち死去します。

 

続いて彼女が失うのはもう一人の弟の弥二郎です。弥二郎の死没年代は不明で、明応6年(1496)12月を最後に史料に見えませんが、近年の黒田基樹氏の研究(「伊勢宗瑞論」同編『伊勢宗瑞』戎光祥出版、2013年所収)では弥二郎の死没時期は大永2年(1522)7月28日、59歳で死去しているとされています。

 


伊勢宗瑞 (シリーズ・中世関東武士の研究)

 

弟二人に先立たれた彼女の悲しみは推して知るべしですが、彼女にはさらなる試練が待ち受けていました。

息子の氏親が大永6年6月23日に死去しました。享年54歳。彼女は夫、弟だけでなく息子にまで先立たれてしまったのです。もっとも氏親は永正18年(1521)ごろより体調を崩し、晩年は寝たきりとなっていたため、彼女にも覚悟はできていたでしょう。

 

氏親の死去の3年後の享禄2年(1529)5月26日、北川殿(作中では伊都)はその戦さの人生の幕を下ろしました。

 

彼女は第2巻110ページで父の盛定から「女には女なりに家を守るという戦さがある」と説教され、義忠との婚姻を決意した時に「戦を選ぶなら今川家なんて最高の舞台と思うわけ」(第2巻198ページ)と言っています。

 


新九郎、奔る!(2) (ビッグコミックス)

 


新九郎、奔る!(2) (ビッグ コミックス) [ ゆうき まさみ ]

 

彼女の戦さは大勝といっていいでしょう。義忠の軽挙妄動で幕府の敵となりかけたり、扇谷上杉氏の家宰の太田道灌に乗っ取られかけたりした今川家を弟の新九郎の助けを借りて守り切り、彼女の生きている間に『今川仮名目録』という家法を出し、検地を行って駿遠二カ国を支配する「海東一の弓取り」と呼ばれる強力な戦国大名にし、さらに弟は彼女の伝で関東に覇を唱える後北条氏となったわけですから。そして彼女の縁で北条氏と今川氏の同盟関係は長く続きます。

 

彼女の葬儀には孫の氏輝・彦五郎・玄広恵探栴岳承芳が中心となったものと思われます。

特に栴岳承芳今川義元となって彼女の死後の31年後に桶狭間の戦いで戦死し、京都かぶれの情けない武将というイメージを持たれてしまいます。その辺目黒川うな氏のマンガの『織田シナモン信長』第6巻(71ページ)でもミニチュアダックスフントのギルバートに転生した今川義元が「あの公家風スタイルで頭スッカラカンな顔はどこからきたのやら?」と困惑しています。その一つの原因が祖母の北川殿でしょう

 


織田シナモン信長 6巻 (ゼノンコミックス)