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室町・戦国時代の歴史・古文書講座

歴史学研究者、古文書講師の秦野裕介がお届けする室町・戦国時代の知識です。

オンライン講座

三浦の乱ー三浦の形成と乱の発生

引き続き三浦の乱について見ていきます。 三浦が形成されたのは15世紀初頭に倭寇対策として興利倭(倭寇が商人に転身した者)の入港先を釜山浦と薺浦に限定し、使送倭(使節として来朝する者)も同様とします。1426年には塩浦が追加され、三浦が形成さ…

三浦の乱への道ー日朝関係の変遷

9月26日のオンライン講座のお知らせです。 テーマは「三浦の乱」です。読み方は?関係者は?背景は?調べてみました。 三浦の乱は「サンポの乱」と読みます。「みうらの乱」ではありません。 「三浦」とは「釜山浦」(プサン)、薺浦(チャンウォン)、塩…

宝山乾珍と季瓊真蘂

嘉吉の乱では赤松満祐が足利直冬の孫の足利義尊を擁立したのは知られている話ですが、赤松家中も一枚岩ではなかったようです。 足利直冬 (人物叢書) ただ嘉吉の乱直後に足利家を細川持之がいち早く身柄を確保してしまったため、これくらいしか担ぐことはでき…

後南朝の歴史

皇居を放火して玉体を狙い奉り、あまつさえ三種の神器を奪って逃走した禁闕の変の犯人の日野有光。彼の経歴は?家族は?背後関係は?調べてみました。 日野有光という人は日野家の当主です。 日野家と言いますと我々は足利将軍家の外戚となった日野富子とそ…

赤松氏からみた嘉吉の乱

赤松氏4代の動きを見ていて大きなターニングポイントは赤松則祐ということになります。則祐が兄の貞範を差し置いて赤松宗家を継承したことが後世に禍根を残すことになったのです。 貞範の子孫は春日部家と言われるようになります。春日部から出た赤松持貞は…

嘉吉の乱リバイバル

オンライン日本史講座最初期のリバイバルです。 最初期の分のオンライン日本史講座は一部ユーチューブにアップされていない、ということで、リバイバルをしますが、中でも第三回の嘉吉の乱については赤松満祐を悪者にしたことについて兵庫県関係者には不評だ…

日本の武士はなんであんなに「間抜け」なのか

こんな話を聞いたことはありませんか。 元寇の時、日本の武士はモンゴル軍の前に進み出て「やあやあ、遠からん者は音に聞け、近くば寄って目にも見よ、我こそは」 モンゴル軍、ドッと笑う。と、いきなり一斉に取り囲んで殺してしまう。 日本の武士って間抜け…

弘安の役の神風

弘安の役と言えば「神風」こと台風でモンゴル軍が撤退したことはほぼ疑う余地はないとされてきました。もう少し詳しく説明すると、まず東路軍が博多湾に侵攻、志賀島を占拠しますが、博多湾がいわゆる「元寇防塁」によって要塞化されていたために攻撃に手間…

神風は吹いたのか

ただいま色々忙しいため、ブログの更新は途切れがちです。 今回は8月15日(木)のオンライン日本史講座のお知らせを兼ねて神風が吹いたのか、という問題を考えることにしました。 「神風」ですが、この由来は文永の役・弘安の役の二度のモンゴルの襲来に…

大モンゴルウルスに対峙した人々1 北条氏とその周辺

8月1日(木)のオンライン日本史講座でのまとめです。 北条氏について、皆さんはどういうイメージをお持ちでしょうか。陰険、陰謀、北条政子、暗殺。あんまりいいイメージないですね。なんとなく謀略と暗殺でのし上がり、最後は暗君の北条高時によって滅び…

三別抄に対して日本はどう対応したか、調べてみた!

8月1日(木)午後8時30分からのオンライン日本史講座の予告エントリです。 8月は「元寇」とか「蒙古襲来」とか言われるモンゴル戦争についてやっていきます。 第一回は文永の役以前です。 文永の役以前の大きな出来事としてはクビライの国書と、三別抄…

近衛基平ってどんな人?

今から二十年以上前の大河ドラマに「北条時宗」というのがありまして、大河ドラマですからあちらこちらにフィクションが仕込まれているのですが、そこで人々のハートを射抜いたのが主人公北条時宗の兄の北条時輔とその相棒となってモンゴルとの通行関係を拒…

モンゴル戦争、又の名を「蒙古襲来」「元寇」

8月1日(木)午後8時30分からのオンライン日本史講座です。8月はいわゆるモンゴル戦争を取り上げます。モンゴル戦争というのは聞きなれない名前ですが、蒙古襲来とか元寇とか言われるものです。 元寇という言葉は最近学会では見かけませんね。どうした…

源義経の戦歴は?あの人との関係は?

源義経、といえば現在でも人気が高いヒーローですね! 私も小学校時代、伝記を借りてきて涙を流しながら読んだ記憶があります。 そこで憎たらしい梶原景時が義経を散々にいたぶって最後は死に追いやるのですが、本当に憎らしく見えました。 そんな源義経につ…

悲劇の美女常盤御前の虚実

源義経の母の常盤御前といえば絶世の美女で、東国の武家の棟梁源義朝という男の中の男と結婚し、子ども3人を生むも、平治の乱で平家に追われ、子どもと母の命を救うために清盛の側室になって、その後懲罰的に一条長成という下級貴族と結婚し、義経が頼朝に…

以仁王の令旨は源氏の蜂起に繋がらなかった!

以仁王の令旨が全国にばらまかれ、それに対応した源氏が諸国で蜂起し、ついに平氏を滅ぼすに至った! それは本当でしょうか? どうも近年の研究では必ずしもそうは言えない、ということのようです。 源頼朝のケースです。頼朝のもとに令旨をもたらしたのは頼…

源頼政挙兵の背景

以仁王は治承三年の政変で今まで知行してきた城興寺領を取り上げられたことを逆恨みして平氏打倒の兵を挙げます。 彼の背後には八条院の勢力がありました。八条院暲子内親王は鳥羽院と美福門院の間の皇女で、鳥羽院の遺領のほとんどを伝領し、その権威と財力…

以仁王ー歴史の闇に消えた先駆者

以仁王という名前を聞いた人は結構多いでしょう。多分中学校の歴史では習うと思います。源平合戦と一般には言われる治承・寿永の内乱の先駆者となった人です。 以仁王 東京国立博物館蔵 以仁王は後白河天皇の第三皇子です。ちなみに第一皇子はもちろん二条天…

平清盛と源義朝

平治の乱の原因の一つとして挙げられているのが、源義朝の平清盛に対する敵愾心です。源平合戦の前哨戦というような見方すらなされています。 本当でしょうか? そもそも源義朝に平清盛を恨む動機が考えられません。もちろん人間ですから、何を考えても不思…

薄命の明主、二条天皇

立命館大学の近所に二条天皇陵の香隆寺陵(こうりゅうじのみささぎ)があります。 阪急から市バスに乗って立命に向かうと、衣笠校前で降りることになるわけですが、衣笠校前のバス停のすぐ近くの道をまっすぐ西に向かうとすぐに二条天皇陵に出ます。 www.kun…

稀代の寝業師2 藤原経宗

藤原経宗。 藤原経宗 天子摂関御影 この人もなかなかの策士です。古澤直人氏の研究を私なりに整理すると、藤原経宗の存在感が大きくなります。 経宗は関白藤原師実の孫に当たります。 彼が出世の糸口を掴んだのは姉の懿子が後白河との間に守仁親王をもうけた…

平治の乱後白河主犯説

7月11日(木)のオンライン日本史講座のお知らせです。 ticket.asanojinnya.com 河内祥輔氏は平治の乱の主犯を後白河上皇とする斬新な説を唱えています。 保元の乱・平治の乱 それに対し元木泰雄氏はその見方を厳しく批判しています。 保元・平治の乱 平清…

平治の乱における源氏と平氏の関係

7月11日(木)のオンライン日本史講座のお知らせです。 ticket.asanojinnya.com 今回は平治の乱を取り上げます。 平治の乱といえば、教科書的理解では平氏と信西の連合に対して不満を持った藤原信頼と源義朝が連携して平清盛の留守中に後白河上皇の御所を襲…

保元の乱のその後

保元の乱はつまるところ後白河派も崇徳派ももともとは差がなく、どちらも権威を欠如させた存在であったことが武力の発動という前代未聞の結果となりました。当然ながらその結末も悲惨なものになります。 崇徳の流罪については前回述べました。太上天皇の座に…

足利義藤御内書(『朽木家古文書』99 国立公文書館)

足利義藤御内書です。義藤とは聞きなれない名前ですが、足利義輝の初名です。言わずと知れた剣豪将軍です。 足利義藤御内書 国立公文書館 年号のない日付の下に花押が押されており、御内書であることがわかります。 釈文です。 今度不慮題目出来 至當谷被移…

崇徳上皇

一言で言えば悲運の人です。 崇徳院 天子摂関御影 歌人として知られており、百人一首では77番の歌です。 瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ 鳥羽天皇の長子として待賢門院藤原璋子との間に産まれ、諱を顕仁といいます。曽祖父白…

稀代の寝業師藤原忠通

寝業師という言葉があります。私は故根本陸夫氏を思いつきます。裏工作が得意な人ということですが、根本氏も緻密な情報網を駆使して大胆なトレードを仕掛けたり、有力なアマチュアを裏技的な手法で入団させたりして西武やダイエー・ソフトバンクを強豪球団…

藤原頼長という人物

藤原頼長。この人ほど個性的な人物はいるだろうか、というほどの人物です。この人の個性の前には全て霞んでしまうほどの個性です。 藤原頼長 『天子摂関御影』 彼は藤原忠実の次男で兄の忠通よりも24歳年少でした。彼については故棚橋光男氏の『後白河法皇…

保元の乱3−戦争の日本史

保元の乱の主役は鳥羽・崇徳・後白河・藤原忠実・忠通・頼長であることは論を俟ちませんが、もう一つは伊勢平氏の平清盛と河内源氏の源義朝でしょう。特に義朝はこの戦いでその地位を飛躍的に向上させ、清盛に次ぐ軍事貴族の地位を手に入れます。 伊勢平氏は…

保元の乱の過程2−戦争の日本史

時はいいころ(1156)保元の乱 武者の世のはじまりと言われる保元の乱ですが、『保元物語』に基づく保元の乱のイメージが強く存在しています。それに対して『愚管抄』を通じてみると少し異なるイメージが出てきます。 『愚管抄』は藤原忠通の息子の慈円…