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室町・戦国時代の歴史・古文書講座

歴史学研究者、古文書講師の秦野裕介がお届けする室町・戦国時代の知識です。

2019-01-01から1年間の記事一覧

正親町天皇の生涯ー永禄十一年正月一日〜十二月晦日

永禄十一年正月一日、四方拝を行う、小朝拝、元日節会を停止御湯殿上日記、言継卿記、続史愚抄四日、千秋万歳、五日同じ御湯殿上日記(一月四日・五日)、言継卿記(一月四日・五日)七日、白馬節会を停止続史愚抄八日、太元帥法、十日聴聞あり御湯殿上日記…

佐々木頼綱譲状案(『朽木家古文書』147 国立公文書館)

古文書入門です。 『朽木家古文書』一四七号文書です。これはまた国立公文書館の写真と『史料纂集 朽木文書』の番号が一致しています。 佐々木頼綱譲状案 朽木家古文書 国立公文書館 では翻刻です。 次男五郎源義綱ニ譲渡所領事 一、近江國朽木庄〈承久勲功…

正親町天皇の生涯ー永禄十年正月一日〜十二月晦日

永禄十年正月一日、四方拝を行う、小朝拝・元日節会は停止御湯殿上日記、言継卿記、続史愚抄五日、千秋万歳御湯殿上日記、言継卿記七日、白馬節会続史愚抄八日、太元帥法御湯殿上日記、言継卿記十六日、踏歌節会続史愚抄十八日、三毬打言継卿記十九日、和歌…

後花園天皇から成仁親王への手紙

後花園天皇の皇子はどんな人?父帝との関係は?調べてみました。 後花園天皇には皇子が一人しかいませんでした。嘉楽門院大炊御門信子所生の成仁(ふさひと)親王です。母親の大炊御門信子は実際には大炊御門家の姫ではなく、地下の楽人の娘です。医師の和気…

三浦の乱ー三浦の形成と乱の発生

引き続き三浦の乱について見ていきます。 三浦が形成されたのは15世紀初頭に倭寇対策として興利倭(倭寇が商人に転身した者)の入港先を釜山浦と薺浦に限定し、使送倭(使節として来朝する者)も同様とします。1426年には塩浦が追加され、三浦が形成さ…

三浦の乱への道ー日朝関係の変遷

9月26日のオンライン講座のお知らせです。 テーマは「三浦の乱」です。読み方は?関係者は?背景は?調べてみました。 三浦の乱は「サンポの乱」と読みます。「みうらの乱」ではありません。 「三浦」とは「釜山浦」(プサン)、薺浦(チャンウォン)、塩…

平顕盛譲状(『朽木家古文書』134 国立公文書館)

古文書入門です。 国立公文書館蔵『朽木家古文書』134号文書(史料纂集『朽木文書』では133)です。 www.digital.archives.go.jp 平顕盛譲状 朽木家古文書 国立公文書館 変体仮名が大量に使われています。一行ずつ解説を加えながら翻刻します。 ゆつり…

正親町天皇の生涯ー永禄九年正月一日〜十二月晦日

永禄九年正月一日、四方拝を行う、小朝拝、元日節会は停止言継卿記、公卿補任、続史愚抄五日、千秋万歳言継卿記この日、叙位を停止続史愚抄六日、別殿行幸御湯殿上日記、言継卿記七日、白馬節会続史愚抄八日、太元帥法御湯殿上日記(八日・十四日)十三日、…

平宗度置文(『朽木家古文書』122 国立公文書館)

古文書入門です。 しばらく平頼盛の子孫の池氏から朽木氏に伝領された所領群の関係文書です。 まずは写真。ダウンロードしてご覧になることをお勧めします。 www.digital.archives.go.jp 平宗度置文 朽木家古文書 国立公文書館 翻刻です。 申含条々子細事 右…

宝山乾珍と季瓊真蘂

嘉吉の乱では赤松満祐が足利直冬の孫の足利義尊を擁立したのは知られている話ですが、赤松家中も一枚岩ではなかったようです。 足利直冬 (人物叢書) ただ嘉吉の乱直後に足利家を細川持之がいち早く身柄を確保してしまったため、これくらいしか担ぐことはでき…

正親町天皇の生涯ー永禄八年正月一日〜十二月晦日

永禄八年正月一日、四方拝行う、小朝拝、元日節会を停止御湯殿上日記、言継卿記、続史愚抄四日、千秋万歳あり、五日同じ御湯殿上日記(四日・五日)、言継卿記(四日・五日)五日、叙位を停止続史愚抄七日、白馬節会停止続史愚抄八日、太元帥法御湯殿上日記…

後南朝の歴史

皇居を放火して玉体を狙い奉り、あまつさえ三種の神器を奪って逃走した禁闕の変の犯人の日野有光。彼の経歴は?家族は?背後関係は?調べてみました。 日野有光という人は日野家の当主です。 日野家と言いますと我々は足利将軍家の外戚となった日野富子とそ…

将軍藤原頼嗣家政所下文(『朽木家古文書』119 国立公文書館)

古文書入門です。 今回も前回と同じく国立公文書館の写真版の番号と『史料纂集』とは一つずれています。 www.digital.archives.go.jp とりあえず原文です。 将軍家政所下文 国立公文書館 翻刻です。 将軍家政所下 丹後国倉橋庄内与保呂村住人 補任地頭職事 …

赤松氏からみた嘉吉の乱

赤松氏4代の動きを見ていて大きなターニングポイントは赤松則祐ということになります。則祐が兄の貞範を差し置いて赤松宗家を継承したことが後世に禍根を残すことになったのです。 貞範の子孫は春日部家と言われるようになります。春日部から出た赤松持貞は…

嘉吉の乱リバイバル

オンライン日本史講座最初期のリバイバルです。 最初期の分のオンライン日本史講座は一部ユーチューブにアップされていない、ということで、リバイバルをしますが、中でも第三回の嘉吉の乱については赤松満祐を悪者にしたことについて兵庫県関係者には不評だ…

北条義時下文(『朽木家古文書』116 国立公文書館)

九月に入りましたのでそろそろ平常運転に戻そうと思います。 古文書入門カテゴリー「朽木家古文書」です。 北条義時下文 朽木家古文書116 国立公文書館 これは『史料纂集 朽木文書』では115になっています。 早速釈文から。 播磨国在田道山庄預所職 事…

日本の武士はなんであんなに「間抜け」なのか

こんな話を聞いたことはありませんか。 元寇の時、日本の武士はモンゴル軍の前に進み出て「やあやあ、遠からん者は音に聞け、近くば寄って目にも見よ、我こそは」 モンゴル軍、ドッと笑う。と、いきなり一斉に取り囲んで殺してしまう。 日本の武士って間抜け…

弘安の役の神風

弘安の役と言えば「神風」こと台風でモンゴル軍が撤退したことはほぼ疑う余地はないとされてきました。もう少し詳しく説明すると、まず東路軍が博多湾に侵攻、志賀島を占拠しますが、博多湾がいわゆる「元寇防塁」によって要塞化されていたために攻撃に手間…

神風は吹いたのか

ただいま色々忙しいため、ブログの更新は途切れがちです。 今回は8月15日(木)のオンライン日本史講座のお知らせを兼ねて神風が吹いたのか、という問題を考えることにしました。 「神風」ですが、この由来は文永の役・弘安の役の二度のモンゴルの襲来に…

大モンゴルウルスに対峙した人々1 北条氏とその周辺

8月1日(木)のオンライン日本史講座でのまとめです。 北条氏について、皆さんはどういうイメージをお持ちでしょうか。陰険、陰謀、北条政子、暗殺。あんまりいいイメージないですね。なんとなく謀略と暗殺でのし上がり、最後は暗君の北条高時によって滅び…

三別抄に対して日本はどう対応したか、調べてみた!

8月1日(木)午後8時30分からのオンライン日本史講座の予告エントリです。 8月は「元寇」とか「蒙古襲来」とか言われるモンゴル戦争についてやっていきます。 第一回は文永の役以前です。 文永の役以前の大きな出来事としてはクビライの国書と、三別抄…

近衛基平ってどんな人?

今から二十年以上前の大河ドラマに「北条時宗」というのがありまして、大河ドラマですからあちらこちらにフィクションが仕込まれているのですが、そこで人々のハートを射抜いたのが主人公北条時宗の兄の北条時輔とその相棒となってモンゴルとの通行関係を拒…

モンゴル戦争、又の名を「蒙古襲来」「元寇」

8月1日(木)午後8時30分からのオンライン日本史講座です。8月はいわゆるモンゴル戦争を取り上げます。モンゴル戦争というのは聞きなれない名前ですが、蒙古襲来とか元寇とか言われるものです。 元寇という言葉は最近学会では見かけませんね。どうした…

源義経の秘密、気になるあの人との関係は?

源義経といえば今でも人気の高いヒーローです。 義経の相方として鉄道オタクならもちろん弁慶ですね。7100型蒸気機関車の名前で今日まで残っているのが「弁慶号」「義経号」「しづか号」でいずれも義経がらみです。ちなみに他には「信広号」(松前藩始祖…

源義経の戦歴は?あの人との関係は?

源義経、といえば現在でも人気が高いヒーローですね! 私も小学校時代、伝記を借りてきて涙を流しながら読んだ記憶があります。 そこで憎たらしい梶原景時が義経を散々にいたぶって最後は死に追いやるのですが、本当に憎らしく見えました。 そんな源義経につ…

正親町天皇の生涯ー永禄七年正月一日〜十二月晦日

永禄七年正月一日、四方拝を行う、小朝拝、元日節会は停止御湯殿上日記、言継卿記、惟房公記、続史愚抄四日、千秋万歳、五日、また同じ御湯殿上日記(四日・五日)、言継卿記(四日・五日)五日、叙位を停止続史愚抄七日、白馬節会を停止続史愚抄八日、太元…

悲劇の美女常盤御前の虚実

源義経の母の常盤御前といえば絶世の美女で、東国の武家の棟梁源義朝という男の中の男と結婚し、子ども3人を生むも、平治の乱で平家に追われ、子どもと母の命を救うために清盛の側室になって、その後懲罰的に一条長成という下級貴族と結婚し、義経が頼朝に…

後花園天皇をめぐる人々ー広橋兼郷

追記:この記事を基にして『研究論集 歴史と文化』第5号に「後花園天皇と貞成親王の関係についての基礎的考察」を掲載させていただきました。 後花園天皇と父親の伏見宮貞成親王の間を引き裂くようなデマを言いふらして失脚した広橋兼郷、行動が少し怪しい、…

以仁王の令旨は源氏の蜂起に繋がらなかった!

以仁王の令旨が全国にばらまかれ、それに対応した源氏が諸国で蜂起し、ついに平氏を滅ぼすに至った! それは本当でしょうか? どうも近年の研究では必ずしもそうは言えない、ということのようです。 源頼朝のケースです。頼朝のもとに令旨をもたらしたのは頼…

尼めうこ(妙語)譲状(『朽木家古文書』107 国立公文書館)

今日は仮名書きの書状です。女性の書状は概ねひらがな書きになりますが、鎌倉時代の譲状では男性の譲状にもひらがな書きの譲状が結構多く、私のようにひらがなのくずし字が苦手な人間には辛いところです。もっとも漢字のくずし字ならば得意なのか、と言われ…